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 「悪いとは知っていても・・・」
たばこ、酒、夜更かし、先延ばし、二度寝、その他たくさん。

これが「よくない」というのは頭で知っている「情報」である。
人間は「知っていることを行える」とは限らないというわけだ。
行動が起こせるというのは頭で知っている段階から体で知っている段階へとシフトする必要がある。

では体で知るにはどうしたらいいのか?
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 その1と題したものの続くかどうかはわかりません(笑)

先日恩師に修士論文を見て頂きました。

「おまえには論が足りん!」
とのことです。

論文とは「科学者の論を文章にしたもの」だそうで、
ここでの「論」とは科学的な哲学を持っているかどうか。

ドクターになるには投稿論文2本と学位論文を出す必要がありますが、
技術的に認めてもらえるかどうかは投稿論文にて審査があるわけです。
学位論文に関して言うと、実はそうではない。
学位論文審査は「専門家以外の学者」がその審査員になるわけで、
技術的に優れているかどうかは投稿論文で実証済みという見地で話が進むわけですね。
ということで、どこを見るか?
そう、その人の「論」がどこまで優れているかを審査するわけです。

むむぅ。むずかしいのぅ。
 日々生きる中で憤ることは多かろう。

憤ったときは数日その憤りを寝かせるといいらしい。

その憤りは反省へと変わり、提案へと昇華される。
好意は時として敵意、とまでいかずとも反感等のマイナス感情を引き起こすことがある。
原因として「手段」と「タイミング」がカギとなるようだ。

事例1(若干極端)
難しいパズルを持ち主の代わりにやってあげた。

事例2(かなりシビア)
阪神大震災の際、一般人が救助に参加しようとしたが
レスキュー隊員から一切手出ししないよう言われたそうだ。
かなりキツい言い方になってしまうが事後のレスキュー隊員の言葉を借りると
緊急時における素人の援助ほど邪魔なものは無いです。」だそうだ。
これはレスキュー隊員が口が悪いわけでは決してないし、悪意ある発言でもないのだ。
本気で人を救いたいからこそ、このような強い言葉が出てきたのだろう。
一切の訓練をされていない一般人は、レスキューに参加しても統率が取れず
がれきの除け方も知らず、危険回避の能力も低く、いざというときの耐久力も低い。
レスキュー隊員からすると、戦力にならないにもかかわらず守らねばならないという状況になるわけだ。
実際この情報を得た時、理解は出来るものの電電自身なんだか切なくなりました。


こういった類の事例は数え切れないほど存在する。
好意の行動であっても責任と代償が発生するというのは
もしかしたら盲点なのかもしれない。

シャーロック・ホームズの冒険[完全版]DVD-BOX 3

 名探偵ホームズと言えばその名を知らぬ人はあまりいない。
しかしホームズシリーズをいろいろ読んでいる人は案外少ないのかもしれない。

名探偵とはいってもホームズはいろいろと特徴的な人物である。

1.コカイン等中毒者
2.ヘビースモーカー
3.地球が丸いことを知らない

数え上げればきりがないのだが、
彼は犯罪捜査に必要ないと判断するものは頭から積極的に排除する傾向があるようだ。
そのかわり無駄に自宅アパートの階段段数を覚えていたりする。

過ぎた知識は人を盲目にするということを彼自身認識しており、
その代りに「ずば抜けた観察眼」で必要な知識を吸収する。

その知識と天才的な推理(見識)によって事件を解決へと導く。
「見識」とは社会的判断だけではない。
見たものを「本当に」見ているか。見たものをどう「捉える」のか。
ホームズシリーズ。一読あれ。

幸せのレシピ 特別版 [DVD]  

幸せに明確な定義などありません。
自分が幸せだと感じればそれが幸せです。

自分が恵まれているとは事実として知っていても、
実際に幸福感を得るのはなぜか難しい。

言い換えれば、幸福感を自分でコントロールすることが出来れば
毎日を充実して過ごすことが出来るようになるでしょう。

基本的に幸せとは既に自分の中にある。

さて質問。
自分には何人感謝している人がいますか?
具体的に人数をあげたうえで、なぜ感謝しているかを明確にしてみましょう。
リストにしたうえで明文化すると効果的です。

今まで出会った人すべて、という類の漠然とした感謝はあまり効果を期待出来ません。
ちゃんと明文化できるものだけを選び出してみてください。

友人?仲間?家族?クラスメイト?仕事仲間?

さて、何人いましたか?
案外予想より多かったりしたのではないでしょうか。

「自分には??人の感謝できる人達がいる。」

これをかみしめることで幸せを自覚することができるはず。

【シェイクスピアの作品で神経衰弱!?】<br>メモゲーム ウィリアム・シェイクスピア  

以前どこかで書いた気もするが、
ブログではまだだったのでメモしておこう。

「あの人は演技している」
というセリフを聞くと、さも「あの人」が本来の自分を偽っているかのように聞こえる。
言い回しはいろいろあるが、猫をかぶる、なんてのもその一つかもしれない。

電電が考えるに、この「演技」という使い方は「間違い」である。
言わんとしていることは理解できるが、そこにはいくつもの落とし穴が存在する。

演技とは本来「表現」の一種であって「偽る」ことにあらず。
重要なのは「表現」のなかに「偽る」というカテゴリが存在するだけだ、ということ。
役者であれば与えられた役柄を自らで消化した後、それを視聴者に表現せねばならない。
演技が下手、というのはこの表現が下手と言い換えることができるわけだ。

ここで一つの質問をしよう。
あなたは誰かに気持ちを伝えるのが得意ですか?

伝えるのが下手、というのは「気持の表現力」すなわち「気持を伝える力」が不足しているということ。
伝えるのが上手な人は、「表現力」が十分にあるわけで、別に嘘をついているわけではない

気持ちをストレートに口にしたからと言って伝わるとは限らない。
沈黙や表情、遠まわしな表現、そういった一つ一つのツールも重要になってくる。

自分の気持ちを伝えるためにそんな小細工・小技を使いたくない、という人もいるだろう。
それには「小細工・小技」と表現された「表現力」のイメージを変える必要がある。

一流の俳優女優と呼ばれる人は、視聴者を誘導するために演技などしていない。
視聴者を誘導して視聴率を上げるためだけの表現力であれば「小細工・小技」と呼ばれてもいたしかたない。
一般にブラック心理術などといわれるのはこの類なのだろう。

「伝えたいことを伝える」という観念が欠如しているがゆえの「小細工・小技」なのだ。
「伝えたいことを伝える」のと「自分が望む方向に相手を誘導する」のは根本的に違う。

「表現力」なのか「誘導力」なのか。
今一度自らの行動を見直してみたい。
 「価値」という言葉を捉えるのはなかなか難しい。
人間が必要と考えればそこに価値は生まれる。

今回の論点は、「価値」といったものはどこにその実体があるのか、ということだ。

さてここで質問である。
目の前に突然日本語を話す宇宙人が現れたとしよう。
彼は地球人のことがいろいろ知りたいいそうだ。
彼は質問をしてきた。

「車とはなんですか?見せてください。」

実際に自分の車を見せ、宇宙人を助手席に乗せて走る。
宇宙人は車というものを理解した。
そして彼は次の質問をした。

「政治とはなんですか?見せてください。

これは困った。政治とは手にとって見せる訳にはいかない実体の無いもの。
とりあえず彼に国会の現場を見せてみる。

「彼らが『政治』なのですか?」

うーん、それも違う。
政治は一つの「現象」であり、それが目に見えない以上それを説明するのは若干難しい。

宇宙人の話はここまでであるが
そろそろ本題に移ろう。価値の話だ。
先程の話であれば、政治家は政治という現象を起こすことによって給料を得ていると表現できる。
国民が政治という現象に対して価値を感じている(支持率とはあまり関係ない)からだ。

では貴金属や宝石はどうだろうか?
さもそれらがとても高価で取り扱われているかのようだが、実際はそこに価値はない。
なぜならその貴金属がどれほど多く世界に存在しているか、
多くの人がどれだけ必要としているか、美しいかといった内容にその価値が左右されるからである。
要するに、その貴金属と人間が引き起こす現象そのものに価値があると考えることができる。

例えば車。
車だけであればただの鉄塊であるが、その車が引き起こす「移動」という現象に価値がある。
CDだけであればただの樹脂であるが、そのCDが引き起こす空気の振動現象に価値がある。
絵画だけであればただの塗料と繊維だけであるが、その絵画が引き起こす感情の昂り現象に価値がある。

そういった意味でリアルな価値というものは存在しない。

掃除の達人 合体タイルブラシ ブルー W-223B

 

最近読む書籍では「潜在意識」に関するものが多い気がする。
潜在意識は意識できないから潜在意識なのであるが、
その存在を意識することそのものは可能である。
潜在的であるがゆえにその使い方を知る人は多くない。

家に帰ってくるとだらけてしまう人を考えてみよう。

人にもよるが、人間は外に出ることで刺激環境に置かれる。
その刺激によってさまざまな行動力を起こすことが可能だ。
家を出る前は「寒いからいや」「めんどくさいからいや」といったマイナスイメージであるが、
一度家を出てしまえば「本屋いきたい」「電気屋いきたい」「服屋行きたい」等願望が生まれるというわけだ。

刺激を受け、脳が一種の興奮状態にある(テンションが高い)状態だと
「家に帰っていろいろ調べごとしよう!」「勉強はじめよう!」等考えたりするわけだが、
いざ家に帰ってくるとだらだらし始めてしまうことも少なくないわけだ。

この理由はいかに?

単純に興奮状態が冷めてしまった、家について安心してしまった、という線が妥当のようだが
そこには潜在意識の大きな力が人間に働いていることを忘れてはならない。

さてここで質問を加えよう。
「自分の部屋はどれほどいい部屋であるか?」
質問の意図が若干わかりづらいかもしれない。

ここで述べたいのは
「部屋の環境が潜在意識に与える影響によって環境適応能力が良くも悪くも働く」
ということなのである。

個人差はあれど部屋の中には「妥協」や「先延ばし」のシンボルが多数ある。

*読もうと思って放置した本
*後で掃除しようと思ってたまったほこり
*中古ショップで買ったはいいけど見てないTV
*三日坊主で終わった壁のカレンダーチェック
*いつか整理しようと思ったカオス状態のコンセントまわり

ここで重要なのは、
きれいに整理整頓されていることがベストではない、ということだ。
以前レビューでも書いたが、デザイナーの佐藤氏は完璧な整理整頓派である。
これに対して苫米地氏はカオス派である。
かといって苫米地氏のデスクが汚いわけではない。
生産的な仕事をする上でそのカオスが彼にとってとても重要なわけだ。
そういった意味でそのカオス状態は妥協でも先延ばしでも無い。

さて、若干回り道をしてしまったが本題に戻ろう。
これらの妥協や先延ばしが潜在意識に与える影響の話だった。

これらのマイナスシンボルは「住人の在り方」を潜在的に決定する力を持つ。
例としては簡単で、大掃除をしたあとの部屋はしばらくの間住人はきれいに使おうとする。
また、きれいな結婚式場でびしっとスーツを着込んだ人は、いつも以上にびしっと行動する。
逆に、高価でも華美でもないがアットホームな内装のペンション等では人間は落ち着いてしまう。

シンボルが作り出した環境が人間に与えた影響のなせる業である。

自分の部屋に限ってはそのシンボルは自分で無意識に作り出していることが大半だ。
それゆえに非常にコントロールが難しいといえる。
一度整理整頓しても、マイナスシンボルはカビのように侵食してくる。

今一度部屋を見回してみよう。
自分の部屋に「妥協」や「先延ばし」等のマイナスシンボルはどれだけあるだろうか?



 

素数に憑かれた人たち ~リーマン予想への挑戦~

  先日本を読んでいて、「知識、見識、胆識」のフレームワークを
勝間氏が「雲、雨、傘」と表現していた。なるほど~

さて、今回のお題というか気づきは
「善悪という価値観は評価しようがなく、素数のように自らか1でしか割れない」
ということ。

数学や物理であれば計算が合ってる、合ってないで判断できますが
一般的な社会的問題では個人個人によってその善悪判断が変わってきます。
先ほどの勝間氏のフレームワークを使ってみると、

雲→真っ黒な雲が出てきた
雨→あれはきっと雨雲に違いない
傘→今日は傘を持って出かけよう

といった具合になる。
今回はこの「雨」の部分が問題になるわけだ。
さまざまな状況によってこの「見識・判断としての雨」が左右される。
雨雲程度であれば問題は簡単だが、倫理や道徳といった概念が絡むと難しい。

そういった意味で、善悪というのは個人が持つ「ものさし」とたとえることができる。
ではその「ものさし」がどれだけいいものかをどうやって評価したらいいだろうか?
これは他の人の「ものさし」と比較してもあまり意味はない。
この「ものさし」という表現自体が曖昧なもので、長ければいいというものでもないからだ。
要するに、個人が思っている「善悪」とは自らの「善悪」でしか判断できない。
その点で素数的である。

対象を善悪で二分しようとすることそのものがナンセンスと言える。



 

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