忍者ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

今朝はゴルゴ起床法を実践いたしました。
今日で6時起床6日目ですよ。

ゴルゴ起床は電電が確立した方法なんだ。
まぁもしかしたら誰かが既に実践しているかもしれんが。

起床という行動に関して勘違いしている人が多いかもしれないが、
「寝ている状態から目を覚ますこと」ではない。
「目が覚めてから仕事を始める状態に自分を持っていくこと」である。

要するに、目が覚めて寝床から抜けて身支度を整えて仕事を始めるまでが起床となる。
この一連の流れを「起床」と定義し、制限時間内にまとめて行うことがスナイパー起床法なのだ。
なぜゴルゴ(スナイパー・狙撃手)かというと、
別にゴルゴ13が作品中でそんな起床法をしているわけではない。
スナイパーの中には狙撃行動の集中力を上げるために、直前に「ラヴェルのボレロ」を聞くことがある。
ボレロはとても静かに始まり、少しずつ盛り上がって最後に大合奏で終わる14分ほどの曲。
静かな部分で気持ちを落ち着かせ、徐々に気分を高揚させると同時に集中力を上げることが出来る。
これを起床に使うわけだ。
以下その手順である。

①前日にiPodやオーディオ機器なんでもかまわないので、朝の6時に「ボレロ」自動演奏をセット
②ボレロが演奏し終わる14分を制限時間として起床プロセスをあらかじめ組んでおく
③寝る
④朝6時、ボレロ演奏開始。頭の中では演奏終了までが起床の「カウントダウンである」と意識する。
⑤前日組んだ起床プロセスにしたがって14分以内に起床タスクをこなす。

以上がゴルゴ起床法である。
ちなみに電電の起床プロセス(14分)は以下のとおりである。参考までに。

イ)演奏開始と同時に部屋の窓を開け、PCの電源を入れる。
ロ)トイレ
ハ)洗面台のそばのネオンテトラ水槽のライトをつけ、そのまま歯ブラシへ。
ニ)歯を磨きながら大型水槽のライトをつける
ホ)着替える
ヘ)メールチェック
ト)手帳チェック

大体こんな感じである。
これは結構時間的に余裕があるが、
今後この中にブログを書くという内容が含まれれば更なる効率化を図れそうだ。
PR
そうではない。

人間は勉強が嫌いなのではなく、何らかのタスクをはじめるのが億劫なだけなのだ。

勉強に限らず、スポーツなど体を動かすのも同様ではないか。

走るのが面倒くさくても、一度走り始めれば体力と息の続く限り走ることが出来る。

動摩擦力より静止摩擦力が大きいのは物理世界だけではないようだ。

静止摩擦力を振り切る術さえ身につければ
これまでより多くのものを身に着けることが出来るはずだ。
習慣化とは「いつ、もしくはどのタイミングで何をするか」を決定すること。

電電が最近早起きできているのは「アメとムチ制度」を導入したと同時に
「毎朝6時に起きる」というタイミングを決定したからである。

たとえば「毎日英単語10個覚える」などという習慣は継続できない。
結局後回しになって「忘れてしまう」からだ。

むしろ現実とするのであれば
「毎日寝る前の10分を使用して、英単語10個にふれる」のほうが良い。

「寝る」という行為は計画的な日常を送る上で確実にやってくる。
これがたとえば「登下校の電車の中では単語帳を眺める」だったりすると、
学校のない日は単語帳を眺めることを忘れてしまう。
もちろん週5日の習慣でよいとするならばそれでもかまわないが。

他にも「カバンを持ったらこのポケットには必ず本を入れる」とか、
「横断歩道で待たされたら手帳に記したメモを眺める」などいろいろある。

そうやって「タイミングを決定する」ことが出来ると実践もかなり容易になる。
初対面の人の第一印象形成や「話を聴く」という行為に関して講演を聴いてきた。

人間は外部情報の大半を視覚から得る以上、自分の視覚情報は重要であるとのこと。

自分の視覚情報に細かく気配り出来るかどうかは人在か人財かの分かれ道だ。

ただ会社に「在る」だけの人物か、会社に「財となる」人物か。

見てくれを気にする、というのと違うところが難しいところ。

自分の視覚情報が相手に与える印象を理解し、
その印象の持つ性格を自分が持ち合わせているか、自分とギャップが無いか。

その場だけ自分を演出するのではなく、いかに自分に「相違ない」自分を表現するか。
今日も6時に起きましたよ~。
若干眠い・・・。

昨日は北大病院で3時間ほど予測制御に関する文献を読んでいた。
北大病院には最近スタバが入り、患者さんやその家族の憩いの場となっている。
そこにパソコンとPDF化された参考文献を持ち込んで勉強したってわけ。

茂木健一郎や勝間和代の本をいくつか読んだが、両者ともノートパソコンを持ち歩いている。
ノートパソコンを用いる事自体は多くの人々が実践していることであろうが、
彼らはそれを補助脳として位置づけているようだ。

電電も思いついたことを一気にノーパソで記録していく。
手書きよりはスピードが速いので頭の回転もそちらにあわせて早くなる。
ノートに書きながら論文を読むよりかなりのスピードで、かつ集中することが出来た。

欠点として電電のダイナブックは相当重いので持ち歩くのが億劫だということ。
なんか軽いパソコンないかなぁ。レッツは高いからなぁ。どうしようかなぁ。
白電電「なぁ、黒電電。人間ってどうして他人の役に立たなきゃならないんだい?」
黒電電「なんだよ、ヤブから棒に」
白電電「自分のために生きちゃいけないのかい?赤の他人に貢献するとか実感わかないよ。」
黒電電「ほほぅ、なるほどね。」
白電電「役に立たない奴は要らないってかい?」
黒電電「まぁそんなことを言うやつはロジックが甘いな」
白電電「人は人の役に立たなきゃいけませんなんて誰が決めたのさ?」
黒電電「じゃあ白電電、おまえ、だれかがそう決めたらそれにおとなしく従うってぇのか?」
白電電「そんなことじゃないさ」
黒電電「それとも誰かに決めてもらわないと何も出来ないのかい?」
白電電「・・・・・・それも違うな」
黒電電「そもそもその質問の組み方自体無意味だな」
白電電「なぜだい?」
黒電電「役に立つという言葉自体漠然としすぎているし、その行為の決定権はあくまで自分だからさ。」
白電電「役に立つか立たないかは自分で決めるってこと?」
黒電電「そりゃそうよ。おまえのいうとおりそんな法律は存在しないしな。」
白電電「なるほど。」
黒電電「ようは『役に立ちたい』か『立ちたくないか』ってことなんじゃないか?」
白電電「『立ちたくない』という選択肢が存在するってことか」
黒電電「役に立つことと立たないことは、その人間の存在価値なんかとは無関係だ。」
白電電「そうか?むしろ関係大有りじゃないのか?」
黒電電「ばかめ、存在価値なんてのは結局人間の頭ん中にしか存在しないんだよ。」
白電電「確かにそうだが・・・」
黒電電「生物ってのは何かを望んだり追い求めたりするところに成長が存在するだろ?」
白電電「うん」
黒電電「役に立たなくてもいいってやつは、そもそも自分で設定したハードルが低いんだ。」
白電電「好きなときに好きなように上げ下げできるからね。緊張感もないし。」
黒電電「その時点でそいつは生物であることを捨てちまったのよ。そんなところで生命の輝きは得られん」
白電電「生物を捨てた人間は駄目人間なの?」
黒電電「だから言ってるだろ、そこに存在価値や善悪なんてのは無関係だってな。」
白電電「ただそこに選択が存在するってだけ?」
黒電電「そうよ。個人にとっての真実はその経験によってのみ作られる。だからどの選択も真実だ。」
白電電「好きなほうを選べばいいんだね。」
黒電電「俺は『役に立ちたい』と邁進しているやつのほうが生き生きしてるように見えるけどな。」
白電電「そうかもしれないね。」
黒電電「んで白電電、お前はどっちを選ぶんだ?」
本日自分に報酬を出しました。

今度からタスクに対して報酬を一つ一つ決めることにしたのです。
タスクが期限内に終了した場合に限り対象物を購入。

本日は参考文献5本以上検索というタスクで、ウォーターウィステリアという水草を2株購入。
おかげで水槽の中がジャングルみたいです笑。

途中で水草の隣にいたナマズも買いそうになったが、ここはやはり我慢です。
ナマズもやはり報酬としてなんらかのタスクと関連付ける必要がある。

これによってなんのメリハリもなかったタスク処理に関して
期限を守る、ということと報酬を得る、という関連付けをすることができた。
あとは習慣づけするだけだ。
本日9月10日。まずは2週間を乗り切るのみ。9月24日まで続いているかな?

できれば「購入」という行動以外にも報酬が存在すればいいのだが・・・。
やっとこさパソコンがXPにグレードアップしました。
いやー、早いしバグもないし。快適ですな。

最近時間管理や勉強に関する本を読むと
「やらないことを決定する」というのがよく出てくる。
たしかにあれもこれもは結局広く浅くになって十分に楽しめていない。

ということで今月の私の「やらない」は

「ロボットトライアスロンに出場しない」 
「PS2をやらない→PS2を捨てる」 
「夜更かし」

以上3つです。あんまりやめすぎずに、こつこつやめていきます。

そのかわりやること。
「部屋環境の最適化→整理整理、ひたすら整理」
「部屋での勉強における行動学から書籍類の配置考察」
「英語勉強習慣化強化」
人間は経験の中から自分にとっての真実を見つけ、
基本的にはそれに従い活動する。

生まれて間もない人間はその経験も浅く、また真実を見つけることも難しい。
ゆえに外部からの指導をそのときの真実として自分にインプットする。

ある時期から自分の経験とそのインプットにギャップを感じ、殻を脱しようとする。
これを一般に「反抗期」と呼ぶらしいが、その言葉の扱われ方に疑問を覚えるケロロである。

なぜなら現象として反抗という結果が生まれたのであって、
何の意味も無く反抗という現象は起こらない。

ただ、ケロロ自身のこのロジック自体にもケロロは疑問を覚えている。
仮に親の指導と、その子供の経験による真実がマッチした場合にも反抗期とやらは来るのだろうか?

おそらくYesだろう。マッチしていても反抗期と呼ばれる次期は来る。
なぜならどんなに小さい誤差であっても累積するからだ。

ということを踏まえて、ケロロが考えるのは
「反抗期だから反抗するのだ」と判断するのは全く結論に至っていない、ということなんだ。

「反抗期だから」「年頃だから」

この単語の意味としてどこまで落としこんでいるかが甚だ疑問である。
先日とある本(大阪弁のゾウさんが出てくるやつ)をちらりと読んで、
靴を大切にしろ、みたいなことが書いてありました。
自分を変えたいなら靴を大切にすることから始める、みたいなね。

ケロロの正直な気持ちとしては
「わかるヒトにしかわからないのではないか」
ってことなんだ。

ケロロは写真が大好きです。暇があればパチパチ撮りまくってます。
旅行だったり日常だったり。
そして改めてその写真を見ることで、自分を取り巻くオブジェクトに関心を向けることができるんだ。
ケロロの場合はそれが靴だったりかばんだったり時計だったりするわけです。

ケロロはもともとモノが大好きなので、そこで不思議な感情に襲われるわけですね。
「あぁ、そういやこの旅行ではこいつ(靴)と一緒に行ったんだったっけな。」

自分との時間を共有しているというだけでそれが友人であってもモノであってもとても大切な存在です。
思い出の地を彼らと共に通り過ぎた、というだけでその場所の記憶は彼らの中にも存在するのですよ。

そこまでモノに対し特別な感情がもててこそ、
やっと「心をこめて磨く、手入れする」という段階にいけるのかもしれません。

読者の皆さんは自分の持っているモノにどれくらい愛着がありますか?
一緒に旅行に行った靴、どれをはいていったか覚えてますか?
前のページ HOME 次のページ
photo by 七ツ森  /  material by 素材のかけら
忍者ブログ [PR]
カレンダー
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
フリーエリア
最新コメント
[01/24 ケロロ管理人]
[01/16 nas_iron]
[07/01 白石]
[03/11 北大サークル情報局運営委員会]
[09/13 うどんこしょういち]
最新トラックバック
プロフィール
HN:
北のロボット博士
性別:
非公開
自己紹介:
北海道生まれ。
北海道にロボットフィールドを作ろうと日々奮闘中。
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
カウンター