二人の男がいた。
金に困っている。
一人は地面に落ちている石の中から
形が面白いものを選んで、それをただただ売って細々と食い繋いだ。
もう一人の男はせっせと土を掘っている。
別に何を売るでもない。
腹をすかせながらもただただ土を掘っていた。
石を拾う男は土を掘る男をあざ笑った。
土なんて何の価値も無いじゃないか、と。
そんなものを掘ってどうするのだ。
そしてとうとう土を掘る男は地面の中から油田を見つけ出したのだった。
ゴールにたどり着くには
はたから見ると何の価値も無い行為を延々とする必要があることもある。
電気も飛行機も「大衆が無価値と判断した」にも関わらず大成した典型例である。
大衆の盲点は宝の宝庫だ。
金に困っている。
一人は地面に落ちている石の中から
形が面白いものを選んで、それをただただ売って細々と食い繋いだ。
もう一人の男はせっせと土を掘っている。
別に何を売るでもない。
腹をすかせながらもただただ土を掘っていた。
石を拾う男は土を掘る男をあざ笑った。
土なんて何の価値も無いじゃないか、と。
そんなものを掘ってどうするのだ。
そしてとうとう土を掘る男は地面の中から油田を見つけ出したのだった。
ゴールにたどり着くには
はたから見ると何の価値も無い行為を延々とする必要があることもある。
電気も飛行機も「大衆が無価値と判断した」にも関わらず大成した典型例である。
大衆の盲点は宝の宝庫だ。
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「石像はすでに石の中にあったのだ。
私はそれをただ、削って掘り出したに過ぎない。」 ~ミケランジェロ
ポテンシャル(潜在能力)は表面化しなければ無かったも同然である。
結果的に「私にはポテンシャルが無かったのだ」というのは間違いである。
鉱山を掘りもせず「こんなの土の塊だ」と悲観するのと同義ではないか。
ゆえにポテンシャルなんて誰にでもあるモノではない、と言うのもアプローチミスである。
潜在しているからこそ表面化させる必要があるのであって、
はじめから表面化されているのであればポテンシャルでもなんでもない。
ただし、ポテンシャルを開花させるのは簡単ではない。
モノによっては血のにじむ努力を必要とするだろう。
モノによっては自分の思想をひっくり返す必要があるだろう。
モノによっては大きな代償を支払う必要があるだろう。
重要なのは、開花のトリガーが必ずしも大きなハードルとは限らないということだ。
誰かの一言がトリガーになって目から鱗が落ちることもあるだろう。
今まで気付かなかった盲点に「気付くだけ」で開花できることも多い。
人間の思想は自由であるが、多くの手枷足枷に繋がれる。
枷の怖いところは長年繋がれると重みを意識できなくなるところである。
現状、関係、過去、現在、外見、学力、職業、資本、気分。
改めて自分の枷であると考えるもの、その枷によって自分が阻害されていると思う行動や能力。
もっともらしい因果関係。
一度そのすべてを切り離してみるといい。
そのとき初めて枷による影響力など、開花した能力を引き止めるには
余りに小さいことに気付くはずだ。
ベートーベンは耳が聞こえなくても交響曲を作った。
バッハは目が見えなくても作曲を続けた。
イ・ヒアは極端に少ない指と知的障害を抱えながらもピアニストになった。
http://www.topics100.net/archives/cat/post_187/
古田貴之氏は下半身不随を克服し日本のロボット界に影響を与え続けている。
宮沢賢治は妹の死を乗り越えて名作銀河鉄道の夜を執筆した。
どれもこれも彼らを束縛してはいない。
何がどうであろうと人間にはポテンシャルが存在する。
あとは扉を開くだけだ。
私はそれをただ、削って掘り出したに過ぎない。」 ~ミケランジェロ
ポテンシャル(潜在能力)は表面化しなければ無かったも同然である。
結果的に「私にはポテンシャルが無かったのだ」というのは間違いである。
鉱山を掘りもせず「こんなの土の塊だ」と悲観するのと同義ではないか。
ゆえにポテンシャルなんて誰にでもあるモノではない、と言うのもアプローチミスである。
潜在しているからこそ表面化させる必要があるのであって、
はじめから表面化されているのであればポテンシャルでもなんでもない。
ただし、ポテンシャルを開花させるのは簡単ではない。
モノによっては血のにじむ努力を必要とするだろう。
モノによっては自分の思想をひっくり返す必要があるだろう。
モノによっては大きな代償を支払う必要があるだろう。
重要なのは、開花のトリガーが必ずしも大きなハードルとは限らないということだ。
誰かの一言がトリガーになって目から鱗が落ちることもあるだろう。
今まで気付かなかった盲点に「気付くだけ」で開花できることも多い。
人間の思想は自由であるが、多くの手枷足枷に繋がれる。
枷の怖いところは長年繋がれると重みを意識できなくなるところである。
現状、関係、過去、現在、外見、学力、職業、資本、気分。
改めて自分の枷であると考えるもの、その枷によって自分が阻害されていると思う行動や能力。
もっともらしい因果関係。
一度そのすべてを切り離してみるといい。
そのとき初めて枷による影響力など、開花した能力を引き止めるには
余りに小さいことに気付くはずだ。
ベートーベンは耳が聞こえなくても交響曲を作った。
バッハは目が見えなくても作曲を続けた。
イ・ヒアは極端に少ない指と知的障害を抱えながらもピアニストになった。
http://www.topics100.net/archives/cat/post_187/
古田貴之氏は下半身不随を克服し日本のロボット界に影響を与え続けている。
宮沢賢治は妹の死を乗り越えて名作銀河鉄道の夜を執筆した。
どれもこれも彼らを束縛してはいない。
何がどうであろうと人間にはポテンシャルが存在する。
あとは扉を開くだけだ。
父のパソコンをAMDアスロンから大幅にグレードアップした。
予算3万くらいでとのことだったから、
余りのマザボと組み合わせてQuadを導入してみよーということ。
せっかくなので父と二人でギャーギャー騒ぎながら組んでみた。
いろいろとハードルがあって疲れました(笑)
まずアスロン時代のDDRメモリが刺さらん!
DDR2から対応かよー。ということで私のパソコンから一枚引っこ抜いておすそ分け。
いちおう全部組んだのになんか起動しない。
電源が入ったり切れたりをこまかく繰り返すという症状。
うーん、なんだろなーなんていろいろググってみたら、
「BIOSの更新をしてください」だってさ。
BIOSの更新なんて初体験だぜ。
USBメモリに入れてBIOS画面から直接更新~
こ、こいつ動くぞ!
アスロンと比べて圧倒的にスピードアップしたマシンに感激した二人でした。
どれくらい高速かというと、
マイクロソフトオフィス(ワードとか)のショートカットキーに触った瞬間立ち上がります。
Quadはこれ以降そんなに更新とか無いと思うので(あるのか?!)、
そろそろ買ってもいいのかもしれんー。
今回のパソコンで満足した父からi7の購入許可を頂きました。
さて、来週でもじっくり選んで組んでみるか!!
予算3万くらいでとのことだったから、
余りのマザボと組み合わせてQuadを導入してみよーということ。
せっかくなので父と二人でギャーギャー騒ぎながら組んでみた。
いろいろとハードルがあって疲れました(笑)
まずアスロン時代のDDRメモリが刺さらん!
DDR2から対応かよー。ということで私のパソコンから一枚引っこ抜いておすそ分け。
いちおう全部組んだのになんか起動しない。
電源が入ったり切れたりをこまかく繰り返すという症状。
うーん、なんだろなーなんていろいろググってみたら、
「BIOSの更新をしてください」だってさ。
BIOSの更新なんて初体験だぜ。
USBメモリに入れてBIOS画面から直接更新~
こ、こいつ動くぞ!
アスロンと比べて圧倒的にスピードアップしたマシンに感激した二人でした。
どれくらい高速かというと、
マイクロソフトオフィス(ワードとか)のショートカットキーに触った瞬間立ち上がります。
Quadはこれ以降そんなに更新とか無いと思うので(あるのか?!)、
そろそろ買ってもいいのかもしれんー。
今回のパソコンで満足した父からi7の購入許可を頂きました。
さて、来週でもじっくり選んで組んでみるか!!
かなり前のブログでも書いた。
大事なことなので再考してみる。
とあるヴァイオリニストの言葉。
「ヴァイオリンの音っていうのはガシガシ弾いてひけらかすものではない。
ヴァイオリンの内へ内へと弾き込んで、それでもあふれ出す音を聞かせるのだ。」
前回はこれをプライドに当てはめた。
今回またこれに触れるのは「能」にも適応できると感じたからだ。
人間は何かしらの「能」を得ると、それを使いたくなる。
使うこと自体はもちろん結構である。
問題は振り回すことにある。
木刀を初めて持った子供のように。
強い剣士は刀を鞘から抜かず、かまえるだけで相手を圧倒できる。
チンピラは最初から抜き身を振り回す。
「能」は「知っている」と「行える」の間に大きなギャップがある。
知っていることを行い、行って改めて「知りなおす」ことの重要さ。
そういった意味で「能」とは使って使って、自分の内へとひきこみ、
それでもにじみ出てくるものが「才能」と呼ばれるものになるのだろう。
大事なことなので再考してみる。
とあるヴァイオリニストの言葉。
「ヴァイオリンの音っていうのはガシガシ弾いてひけらかすものではない。
ヴァイオリンの内へ内へと弾き込んで、それでもあふれ出す音を聞かせるのだ。」
前回はこれをプライドに当てはめた。
今回またこれに触れるのは「能」にも適応できると感じたからだ。
人間は何かしらの「能」を得ると、それを使いたくなる。
使うこと自体はもちろん結構である。
問題は振り回すことにある。
木刀を初めて持った子供のように。
強い剣士は刀を鞘から抜かず、かまえるだけで相手を圧倒できる。
チンピラは最初から抜き身を振り回す。
「能」は「知っている」と「行える」の間に大きなギャップがある。
知っていることを行い、行って改めて「知りなおす」ことの重要さ。
そういった意味で「能」とは使って使って、自分の内へとひきこみ、
それでもにじみ出てくるものが「才能」と呼ばれるものになるのだろう。
日本人の美徳もしくは欠点の一つに「多数派主義」がある。
多数派に流れ、事なきを得る。
何かしらの行動、選択、思想においてオリジナルを貫く気概を持たない。
周りの空気をうまくよんで、仲間とうまく協調する。
果たしてこれらは「多数派主義」の二面性を表現しているのであろうか?
個人的意見としては「否」である。
「周りの空気をうまくよんで、仲間とうまく協調する」という建前で
自分のオリジナルを熟考かつ推敲しないだけではないか。
自分の行動、選択、思想の正当性を「多数派」であるということだけで免罪符を貰った気になる。
タバコも覚せい剤も、電車での携帯も路上駐車も。
自分以外にも多くの人間が手を染めることでその罪悪感を薄める。
こういうときの人間はなぜか視点が高い。
社会や地球に対しての自分の小ささを自覚し、
「自分ひとりが吐いた煙、自分ひとりが捨てたゴミ」と
またそこに多数派であることの免罪符を得ようとする。
ちりも積もれば山となるが、それを個人で自覚するのは難しい。
むしろ重要なポイントはそこではない。
自分がどちらの人間なのか、どの選択をしたのか。
自分がタバコを吸う人間か、吸わない人間か。
自分はポイ捨てを一つもしない人間か、する人間か。
その差は自分の人生にとって、自分のステータスにおいて非常に大きな差を生んでいるはずだ。
多数派に流れ、事なきを得る。
何かしらの行動、選択、思想においてオリジナルを貫く気概を持たない。
周りの空気をうまくよんで、仲間とうまく協調する。
果たしてこれらは「多数派主義」の二面性を表現しているのであろうか?
個人的意見としては「否」である。
「周りの空気をうまくよんで、仲間とうまく協調する」という建前で
自分のオリジナルを熟考かつ推敲しないだけではないか。
自分の行動、選択、思想の正当性を「多数派」であるということだけで免罪符を貰った気になる。
タバコも覚せい剤も、電車での携帯も路上駐車も。
自分以外にも多くの人間が手を染めることでその罪悪感を薄める。
こういうときの人間はなぜか視点が高い。
社会や地球に対しての自分の小ささを自覚し、
「自分ひとりが吐いた煙、自分ひとりが捨てたゴミ」と
またそこに多数派であることの免罪符を得ようとする。
ちりも積もれば山となるが、それを個人で自覚するのは難しい。
むしろ重要なポイントはそこではない。
自分がどちらの人間なのか、どの選択をしたのか。
自分がタバコを吸う人間か、吸わない人間か。
自分はポイ捨てを一つもしない人間か、する人間か。
その差は自分の人生にとって、自分のステータスにおいて非常に大きな差を生んでいるはずだ。
「どん底を生き抜く法」 堀之内九一郎著
「マネーの虎」で有名な堀之内氏の著書である。
本書を購入した理由は2つ。
1.マネーの虎にて堀之内氏に興味を持った
2.「とにかく速さにこだわれ」という言葉にひらめきを得た
読書および購入において私にはポリシーのようなものがある。
「得るものがあった本は買う」ということだ。
もちろん「得るものがありそうな本」も購入対象であるが、
はたして「得るものが『あった』本を買う」人はどれくらいいるだろうか?
私自身の印象では
多くの人が立ち読みをしながら何か良い情報を得ると
「いい立ち読みであった」と満足してそのまま本を置いてしまう。
それがどうしても「情報のウィンドウショッピング」に見えてしょうがない。
立ち読みだけで吸収できることが少なすぎる気がするからだ。
本当にその情報が欲しいのであれば、買って家に持ち帰り
必要に応じて再読し、反芻することが重要であると感じる。
そして何より、その本の背表紙を見るだけで
「自分がどんな情報を得たか」を思い出して整理する助けにもなる。
それを踏まえて本書のレビューに入ろう。(前置き長いw)
本書購入の目的は先に述べたとおり2つであったが、
前者に関しては期待通りであった。
ホームレス時代のメラメラと燃える成り上がり精神や
自分なら出来ると信じていた背後にある反省の欠如。
そういった内面を明かしながら進む堀之内氏のドラマである。
そんな中で得た「速さ」の重要性。
氏がこだわったのは「何事も早めに」などという生ぬるいものではなく
それこそ「怒涛のごとく圧倒的スピード」である。
ホンダや松下電器はその典型的例であり、
1日1店舗以上のスピードで展開している。
一世代でそこまでの偉業を成し遂げるにはそれ相応のスピードが不可欠であるということだ。
人間の中には辞書がある。
そしていろいろな言葉に自分なりの意味をつけている。
私の辞書にある「スピード」が更新された瞬間であった。
「低速・中速・高速」しかなかったところに「爆速」が加わったのである。
日々自分の辞書を更新できるようアンテナをとがらせたいところだ。
「マネーの虎」で有名な堀之内氏の著書である。
本書を購入した理由は2つ。
1.マネーの虎にて堀之内氏に興味を持った
2.「とにかく速さにこだわれ」という言葉にひらめきを得た
読書および購入において私にはポリシーのようなものがある。
「得るものがあった本は買う」ということだ。
もちろん「得るものがありそうな本」も購入対象であるが、
はたして「得るものが『あった』本を買う」人はどれくらいいるだろうか?
私自身の印象では
多くの人が立ち読みをしながら何か良い情報を得ると
「いい立ち読みであった」と満足してそのまま本を置いてしまう。
それがどうしても「情報のウィンドウショッピング」に見えてしょうがない。
立ち読みだけで吸収できることが少なすぎる気がするからだ。
本当にその情報が欲しいのであれば、買って家に持ち帰り
必要に応じて再読し、反芻することが重要であると感じる。
そして何より、その本の背表紙を見るだけで
「自分がどんな情報を得たか」を思い出して整理する助けにもなる。
それを踏まえて本書のレビューに入ろう。(前置き長いw)
本書購入の目的は先に述べたとおり2つであったが、
前者に関しては期待通りであった。
ホームレス時代のメラメラと燃える成り上がり精神や
自分なら出来ると信じていた背後にある反省の欠如。
そういった内面を明かしながら進む堀之内氏のドラマである。
そんな中で得た「速さ」の重要性。
氏がこだわったのは「何事も早めに」などという生ぬるいものではなく
それこそ「怒涛のごとく圧倒的スピード」である。
ホンダや松下電器はその典型的例であり、
1日1店舗以上のスピードで展開している。
一世代でそこまでの偉業を成し遂げるにはそれ相応のスピードが不可欠であるということだ。
人間の中には辞書がある。
そしていろいろな言葉に自分なりの意味をつけている。
私の辞書にある「スピード」が更新された瞬間であった。
「低速・中速・高速」しかなかったところに「爆速」が加わったのである。
日々自分の辞書を更新できるようアンテナをとがらせたいところだ。
人間は自らを含め、誰かを評価分析する際、タグによってカテゴライズしている。
例えば目の前に体が大きくて柄入スーツを着てサングラスでタバコをふかした男がいたら
多くの人々が以下のようなタグをつけるはずだ。
「ヤクザ」「犯罪の香り」「触らぬ神にたたりなし」
もちろん自分の立場によってはそのタグのつけ方は変わってくる。
自分が新宿の刑事であれば「ターゲット」になるかもしれないし、
同業者であれば「なわばり」「抗争」なんてタグがさらにつくかもしれない。
このタグによるカテゴライズという行為。
もちろんのことデメリットが存在する。
一つ目として、見当はずれなタグをつけてしまう場合。
実は先の人物、衣装を着たままの役者でした、なんてことも十分考えうる。
そういったものもあれば、単に偏見というのもあろう。
二つ目は重要だ。タグという性質上の「分解能の低さ」である。
言葉では分類できない場合のほうが多く、仕方なく自分の持つタグで分類してしまう。
ヤクザっぽいだけなのに、結局それをあらわすタグが無いため「ヤクザ」というタグで片付ける。
ここで恐ろしいのは「タグ」によるカテゴライズからのフィードバックである。
一度つけたタグから逆にその人を評価分析してしまうというのが恐ろしい。
勝手につけたタグのほうを優先してしまう、というわけだ。
「あぁ、あいつはヤクザだからねぇ」
その対象が自分であるとなおさら大問題である。
自分で自分につけたタグはたくさんあるはず。
「コミュニケーションが下手」「プレゼンは三流」「内気」「怒りっぽい」
いろいろあるだろう。
今までの経験でそのタグをつけたのであろうが、
そのタグが「正しいという前提」で自分を評価してしまうのは如何なものか?
今一度自分につけたタグを見直したいところである。
例えば目の前に体が大きくて柄入スーツを着てサングラスでタバコをふかした男がいたら
多くの人々が以下のようなタグをつけるはずだ。
「ヤクザ」「犯罪の香り」「触らぬ神にたたりなし」
もちろん自分の立場によってはそのタグのつけ方は変わってくる。
自分が新宿の刑事であれば「ターゲット」になるかもしれないし、
同業者であれば「なわばり」「抗争」なんてタグがさらにつくかもしれない。
このタグによるカテゴライズという行為。
もちろんのことデメリットが存在する。
一つ目として、見当はずれなタグをつけてしまう場合。
実は先の人物、衣装を着たままの役者でした、なんてことも十分考えうる。
そういったものもあれば、単に偏見というのもあろう。
二つ目は重要だ。タグという性質上の「分解能の低さ」である。
言葉では分類できない場合のほうが多く、仕方なく自分の持つタグで分類してしまう。
ヤクザっぽいだけなのに、結局それをあらわすタグが無いため「ヤクザ」というタグで片付ける。
ここで恐ろしいのは「タグ」によるカテゴライズからのフィードバックである。
一度つけたタグから逆にその人を評価分析してしまうというのが恐ろしい。
勝手につけたタグのほうを優先してしまう、というわけだ。
「あぁ、あいつはヤクザだからねぇ」
その対象が自分であるとなおさら大問題である。
自分で自分につけたタグはたくさんあるはず。
「コミュニケーションが下手」「プレゼンは三流」「内気」「怒りっぽい」
いろいろあるだろう。
今までの経験でそのタグをつけたのであろうが、
そのタグが「正しいという前提」で自分を評価してしまうのは如何なものか?
今一度自分につけたタグを見直したいところである。
最近うわさの「ノイズキャンセル機能付きヘッドホン」であるが、
とうとう買ってしまった!!
http://www.audio-technica.co.jp/products/hp/ath-anc3.html
とはいっても私のはヘッドホンではなくイヤホンであるけれど。
結論から言うと「かなり有効」です!
今回使ってみて耳にも盲点があるということに気付いた次第です。
とりあえず視聴してみて、ヨドバシの騒音が消えてしまったことにビビる。
もちろん100%ではないが、あの喧騒が静かなオフィス並みになる。
実際ノイズキャンセルするまで気付かなかったが、
「街」という場所は全体として「ゴー・・・」という低音が常に響いている
車や足音、風等さまざまな音が混ざり合って実はとても大きな音に満ちているのだ。
あまりにいつも聞いているのですでに気付かなくなってしまっているようだ。
ノイズキャンセルで消えるのは、この定常的な「ゴー・・・」という音。
人の話し声や足音はちゃんと聞こえる。
私の場合はカナル式といって耳栓タイプなので、それだけでもかなり遮蔽性が高いので
さらに防音効果、ノイズ遮蔽効果が高い。
そして、iPodの付属イヤホンより圧倒的に音が良かった(笑)
ティンパニや大太鼓の響きと余韻がそのまま伝わってくる感じ。
まぁ今まで使用していたイヤホンが最悪だったんだろう。
わくわくしながら地下鉄へ。
はい、効果は歴然!
もちろん完璧ではありませんが体感してわかるほど地下鉄の走行音が減りました。
iPodの音量は今までの「半分」で十分なくらい。
加え、その半分の音量でも「オーディオブックの人の声」が明瞭に聞こえました。
今まで英単語や英語演説等をiPodに入れて持ち歩いていたのですが、
地下鉄ではほとんど聞き取れずあきらめていたところ。
すいていればいいが、朝のラッシュだと本を立ち読みするのもほぼ不可能。
今後の地下鉄での時間が勉強時間として確保できたわけだ。
ちなみにiPod等のオーディオ機器をつながずに、耳栓としてもかなり使えます。
パソコンのファンの音がほとんど聞こえなくなってウハウハ。
とまぁここまでべた褒めなのですが、もちろんデメリットもありますよ。
1.これをつけたまま自転車は危険すぎる
2.カナル式(耳にずっぽり差し込むタイプ)なので若干不潔感が漂う
3.自分の耳の穴にぴったり合ってないと、耳が痛くなるか、ノイズが入ってくるかする
4.結構高価(今回は「安め」の12800円でした)
5.耳に閉塞感がある (だんだん慣れてはくるのかも)
6.静かな反面、イヤホンのコード類が服とこすれる音が大きくきこえてしまうこともある
7.単4電池が必要(どれくらい持つかは不明。エネループで使ってみようかな・・・)
気になる人は実際に店頭で調べて、自分のオーディオプレイヤーにつないで見るといいです。
とうとう買ってしまった!!
http://www.audio-technica.co.jp/products/hp/ath-anc3.html
とはいっても私のはヘッドホンではなくイヤホンであるけれど。
結論から言うと「かなり有効」です!
今回使ってみて耳にも盲点があるということに気付いた次第です。
とりあえず視聴してみて、ヨドバシの騒音が消えてしまったことにビビる。
もちろん100%ではないが、あの喧騒が静かなオフィス並みになる。
実際ノイズキャンセルするまで気付かなかったが、
「街」という場所は全体として「ゴー・・・」という低音が常に響いている
車や足音、風等さまざまな音が混ざり合って実はとても大きな音に満ちているのだ。
あまりにいつも聞いているのですでに気付かなくなってしまっているようだ。
ノイズキャンセルで消えるのは、この定常的な「ゴー・・・」という音。
人の話し声や足音はちゃんと聞こえる。
私の場合はカナル式といって耳栓タイプなので、それだけでもかなり遮蔽性が高いので
さらに防音効果、ノイズ遮蔽効果が高い。
そして、iPodの付属イヤホンより圧倒的に音が良かった(笑)
ティンパニや大太鼓の響きと余韻がそのまま伝わってくる感じ。
まぁ今まで使用していたイヤホンが最悪だったんだろう。
わくわくしながら地下鉄へ。
はい、効果は歴然!
もちろん完璧ではありませんが体感してわかるほど地下鉄の走行音が減りました。
iPodの音量は今までの「半分」で十分なくらい。
加え、その半分の音量でも「オーディオブックの人の声」が明瞭に聞こえました。
今まで英単語や英語演説等をiPodに入れて持ち歩いていたのですが、
地下鉄ではほとんど聞き取れずあきらめていたところ。
すいていればいいが、朝のラッシュだと本を立ち読みするのもほぼ不可能。
今後の地下鉄での時間が勉強時間として確保できたわけだ。
ちなみにiPod等のオーディオ機器をつながずに、耳栓としてもかなり使えます。
パソコンのファンの音がほとんど聞こえなくなってウハウハ。
とまぁここまでべた褒めなのですが、もちろんデメリットもありますよ。
1.これをつけたまま自転車は危険すぎる
2.カナル式(耳にずっぽり差し込むタイプ)なので若干不潔感が漂う
3.自分の耳の穴にぴったり合ってないと、耳が痛くなるか、ノイズが入ってくるかする
4.結構高価(今回は「安め」の12800円でした)
5.耳に閉塞感がある (だんだん慣れてはくるのかも)
6.静かな反面、イヤホンのコード類が服とこすれる音が大きくきこえてしまうこともある
7.単4電池が必要(どれくらい持つかは不明。エネループで使ってみようかな・・・)
気になる人は実際に店頭で調べて、自分のオーディオプレイヤーにつないで見るといいです。
祖父が他界した。
享年93歳。
2度の戦争出兵経験。
老衰であった。
満州への出兵において、祖父は理不尽な軍国主義の被害者であった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その昔、祖父がまだ若かったころ。
満州という場所があったころ。
慣れない銃を抱え、祖父達とその中隊長は
大隊長から厳命を受けた。
「敵ヲ殲滅セヨ。状況ガ不利デアッテモ、オ国ノタメニ命ヲ捧ゲヨ。」
状況は圧倒的に不利であり、誰もが自分達の壊滅を覚悟せねばならなかった。
倒れ行く仲間。
夜襲。
泥水をすすりながら、地面に這い蹲りながら、
弾に当たらぬよう、じっとこらえる。
精神的にも状況的にも追い詰められた祖父達。
とうとう中隊長は決断した。
「みんな、今持っている弾を全部撃ちつくせ。本陣に帰ろう。」
命を捧げろと厳命を受けた祖父達は、一筋の希望をそこに見たのだった。
帰りの道中とて戦場である。
本陣に命からがらたどり着いたとき、
失った戦友の数多さに改めて愕然としていた。
だが大隊長は鬼だった。
「なにぃ?敵前逃亡だと?」
大隊長の目がギラリと光る。
「中隊長以下、全員銃殺ー!!」
この時の祖父達の絶望感は筆舌に尽くしがたい。
しかしその数日後、日本は降伏宣言。
祖父達はその命をつないだが、中隊長だけは帰ってこなかったそうだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私が記憶する祖父は、いつも笑顔を絶やさず、ユーモアを忘れない人物であった。
やさしすぎるがゆえに人に騙されることもあった。
苦悩も多かったようだ。
そんな祖父が残した言葉を、私はまだ覚えている。
「幸せってのは自分で決めるもんだ。
幸せが逃げたら、そりゃ心は痛むだろうさ。
でも手足をもがれたってわけじゃない。
実は、痛くもなんとも無いのさ。」
20年以上前に死別した祖母と再会した祖父。
いったい何を語るのであろうか。
きっと二人で新しい幸せを見つける旅に出たに違いない。
祖父の幸せを決めるのは、きっとまた祖父なんだろう。
享年93歳。
2度の戦争出兵経験。
老衰であった。
満州への出兵において、祖父は理不尽な軍国主義の被害者であった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その昔、祖父がまだ若かったころ。
満州という場所があったころ。
慣れない銃を抱え、祖父達とその中隊長は
大隊長から厳命を受けた。
「敵ヲ殲滅セヨ。状況ガ不利デアッテモ、オ国ノタメニ命ヲ捧ゲヨ。」
状況は圧倒的に不利であり、誰もが自分達の壊滅を覚悟せねばならなかった。
倒れ行く仲間。
夜襲。
泥水をすすりながら、地面に這い蹲りながら、
弾に当たらぬよう、じっとこらえる。
精神的にも状況的にも追い詰められた祖父達。
とうとう中隊長は決断した。
「みんな、今持っている弾を全部撃ちつくせ。本陣に帰ろう。」
命を捧げろと厳命を受けた祖父達は、一筋の希望をそこに見たのだった。
帰りの道中とて戦場である。
本陣に命からがらたどり着いたとき、
失った戦友の数多さに改めて愕然としていた。
だが大隊長は鬼だった。
「なにぃ?敵前逃亡だと?」
大隊長の目がギラリと光る。
「中隊長以下、全員銃殺ー!!」
この時の祖父達の絶望感は筆舌に尽くしがたい。
しかしその数日後、日本は降伏宣言。
祖父達はその命をつないだが、中隊長だけは帰ってこなかったそうだ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私が記憶する祖父は、いつも笑顔を絶やさず、ユーモアを忘れない人物であった。
やさしすぎるがゆえに人に騙されることもあった。
苦悩も多かったようだ。
そんな祖父が残した言葉を、私はまだ覚えている。
「幸せってのは自分で決めるもんだ。
幸せが逃げたら、そりゃ心は痛むだろうさ。
でも手足をもがれたってわけじゃない。
実は、痛くもなんとも無いのさ。」
20年以上前に死別した祖母と再会した祖父。
いったい何を語るのであろうか。
きっと二人で新しい幸せを見つける旅に出たに違いない。
祖父の幸せを決めるのは、きっとまた祖父なんだろう。
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