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人間は自らを含め、誰かを評価分析する際、タグによってカテゴライズしている。

例えば目の前に体が大きくて柄入スーツを着てサングラスでタバコをふかした男がいたら
多くの人々が以下のようなタグをつけるはずだ。

「ヤクザ」「犯罪の香り」「触らぬ神にたたりなし」

もちろん自分の立場によってはそのタグのつけ方は変わってくる。
自分が新宿の刑事であれば「ターゲット」になるかもしれないし、
同業者であれば「なわばり」「抗争」なんてタグがさらにつくかもしれない。

このタグによるカテゴライズという行為。
もちろんのことデメリットが存在する。

一つ目として、見当はずれなタグをつけてしまう場合。
実は先の人物、衣装を着たままの役者でした、なんてことも十分考えうる。
そういったものもあれば、単に偏見というのもあろう。

二つ目は重要だ。タグという性質上の「分解能の低さ」である。
言葉では分類できない場合のほうが多く、仕方なく自分の持つタグで分類してしまう。
ヤクザっぽいだけなのに、結局それをあらわすタグが無いため「ヤクザ」というタグで片付ける。
ここで恐ろしいのは「タグ」によるカテゴライズからのフィードバックである。
一度つけたタグから逆にその人を評価分析してしまうというのが恐ろしい。
勝手につけたタグのほうを優先してしまう、というわけだ。

「あぁ、あいつはヤクザだからねぇ」

その対象が自分であるとなおさら大問題である。
自分で自分につけたタグはたくさんあるはず。
「コミュニケーションが下手」「プレゼンは三流」「内気」「怒りっぽい」
いろいろあるだろう。
今までの経験でそのタグをつけたのであろうが、
そのタグが「正しいという前提」で自分を評価してしまうのは如何なものか?

今一度自分につけたタグを見直したいところである。
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