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3月6日から3月18日まで日本を離れることにしました。

ちょっくらドイツいってきます。

初海外で若干心配だが、心を引き締めて。
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Photo by Kossy@FINEDAYS



「すみません」とは「申し訳ない気持ちで、心が澄みません、晴れません」というのが語源だそうだ。
言ってみれば「自責の念」を表現しているわけである。

がしかし、いつから「すみません」は自己容認としての役割も担うようになったのか?

「バカですみません」
「天然ですみません」
「空気読めなくてすみません」
「ついていけなくてすみません」
「料理できなくてすみません」
「鈍感ですみません」
「自信なくてすみません」
「いつまでも子供ですみません」
「掃除できなくてすみません」
「字が汚くてすみません」


いつのまにか
「わたしはそういう人間なので、そこんとこ容認した上で勘弁してください」
というニュアンスが含まれてきた。

自責の念の解決を相手にゆだねた形となる。
要するにこの用法は「自」でも「責」でもなくなっているわけだ。

馬鹿でもアホでも鈍感でも別にかまわない。
そこらへんは本件の本質とは無関係だ。
注目すべきは、謝るふりをして相手の容認に甘んじる姿勢、それを求める姿勢」そのものである。

「すみません」は便利な言葉だが、使い方には気をつけたい。
シドニアの騎士 1 (アフタヌーンKC)


でました! 「シドニアの騎士」第二巻!
二巻の表紙は結構萌萌しいので一巻のサムネイルを(笑)

敬愛する弐瓶さんの最新刊なわけです。
レビューでは賛否分かれるわけですが、
弐瓶さん自身かなりイラストがうまくなってきている!
まぁBLAME時代の荒削りなタッチも結構好きでしたが。

理系の私でもついていくのが大変なダイナミックSF。
桁はずれな重量物等が毎回出てくるのが楽しみだったりします。

かなりマニアックな作品ですが、
購読あれ!


上半身と下半身を合体させてパソコンを搭載しました。
とはいってもノーパソは単に乗っけただけです。

自宅にNC等の工作機械があればいろいろパーツも作れるのですが。
まぁ愚痴を言ってもしょうがないので最善を尽くしましょう。

基本的にパンチングボード(穴あきアルミ板)と角材を使用します。
パンチングボードはロボット製作初心者にとっては非常に効果的です。
穴があいているので基板、モータ等を簡単にねじ止め出来ますからね。
切りたい場合は回転丸のこ、もしくはハンドニブラを使ってガシガシと。
最低限の加工でかなりの精度を得ることができます。
ただしブラケットを作ろうと思ったらやはり一枚板のアルミから作らないと強度が足らないですね。

ポイントは、きれいにシンプルに使いやすく。






上半身だけ出来た。
下半身は仮なのでもっと大きくなります。
腕はRobonova-1のパーツを流用しましたが、
手先はモノをつかめるようグリップをつけたいところです。

頭はカメラ乗っけるから、どっかから安いのを探してこないとなぁ・・・。
新入生歓迎会には何とか間に合わせねば!!

ある程度形になったらニコ動にUPします。



日経 WinPC ( ウィンピーシー ) 2010年 03月号 [雑誌] 

いろいろとWindows7 64bitの問題点のしわ寄せを感じ始めた電電です(笑)

最近RAMディスクを使用し始めました。
あれですよ、メモリをハードディスクとして使えるようにするやつ。
意味不明な人はごめんなさい(笑)

パソコンは台所にたとえることができます。
料理をするために食材を保管しておく保管庫(ハードディスクに相当)
そして、実際に料理をするためのまな板(メモリに相当)
というわけなんですね。

メモリはOSの仕様によって最大量が制限されているわけなんですが、
制限量を超えた部分をどうにか使えないか?と考案されたのが
RAMディスクというわけなんですね。
余った分をハードディスクとして使ってしまおうと。
フリーソフトでそれが可能になったわけなんですが、
ハードディスクと違って電源を切ってしまえばメモリデータは消えてしまう。
そんなもんを何に使うんだー!ということになります。

これがまた便利な使用法があるわけですよ。

ハードディスクに比べてメモリはデータの読み書きが桁違いに速いです。
んで、ものはとらえようで、電源を切るたびにディスクが初期化されるってこと。

ということで電電も使用しているオーソドックスな使い方が、
インターネットエクスプローラのキャッシュにRAMディスクを割り当てる
ってことなんですね。

インターネットを見るときは、ネット上のデータをパソコン内に
ダウンロードしてからブラウザに表示されるのですが、
その一時的にダウンロードしてきたファイルの保管先をRAMディスクにすると。

結果から言うと閲覧スピードが目に見えて爆速になりました(笑)
Youtubeやニコ動での動画ダウンロードが半端なく早いです。

ただーし、OSがXPだった時代はこれで問題が発生することも。
なんとこのエクスプローラのキャッシュはオフィスソフトと共有なわけです。
結果としてオフィスソフトがエラーを吐いたりする問題があったというわけ。

Windows7にしてから試してみたところ、そんな問題は発生してない
ビバWindows7!
別にWindows7信奉者ではありませんが、うれしい事実ですね。


 ブログタイトルにロボットとあるのに、全然ロボットの話してないや(笑)
別にロボットをやめたわけではないんです。
今後はしっかり掲載していこう。



さて今回はプログラミング練習用に写真のようなボードを組みました。
パンチングボード(網目状のアルミ板)がこんなところで役に立つとは(笑)

マイコンをいろいろ動かそうと思ったら周辺機器がいくつか必要になるわけです。
ケーブルやらなんやらでごちゃごちゃしがちな実験装置。
なんかいやですねぇ。
それを整理してしまおうということで今回の装置になったというわけです。

搭載部品
  • H8-3052USB開発キットボード(64bitOSのためドライバが入らん・・・)
  • USB-Serial通信ボード
  • GWSサーボS03T 2BBMG
  • 周辺ボード(サーボ、AD、バイポーラステッピングモータドライバ)
  • ポテンショメータ
とまあ一杯ありますね。
今日はポテンショメータとサーボを同期させるところまで出来たのです。
将来的に行うことは
  • パソコンとのシリアル通信(USBドライバ誰か助けて・・・)
  • 数十個のサーボモータを同時制御してマニピュレータを作る
  • カメラを同期させて画像解析(ARとか面白そうです)
詳細はWIKIにて更新しておりますので、どうぞ見てやってください↓



ミニコミ 手塚治虫漫画全集 ブラックジャック パックA 

中学校時代からブラックジャックファンである。
何度読んでも感銘を受けるコミックはなかなかない。

一応タグはブックレビューとなっているが、今回の注目点は内容とは若干違う。

マンガと小説の違い」に関して感じたことを少々。

この作品の中にはピノコと呼ばれる助手(?)が出てくるが、
とある理由によりブラックジャックによってその体を「構築」され、この世に生を受ける。
ブラックジャックがピノコの顔を作る際、参考にした少女がいた。
彼女は医学書の写真で見つけたという。

ひょんな理由からその少女とブラックジャックは遭遇し、一つのきずなが生まれる。
がしかし、公害により彼女は帰らぬ人となったのであった。

普段物静かで冷徹なブラックジャックの顔には、押し殺せぬ怒りが現われていた。

そのたった一コマ。

言葉にならぬ渦巻いた感情が読者を包むのである。
この「言葉にならぬ」ことを表現できるというのがマンガと小説との違いである。

小説は昔のカセットテープに似ている。
カセットテープには磁気テープに音楽情報が刻まれており、
そのテープを自動で「送る」ことによってスピーカーから「音」として耳に入る。
これが停止してしまうと音にはならないわけだ。
小説には「言葉」のテープが紡がれており、その言葉は流れていないとストーリーにはならない。
そういった意味で「無言」という表現方法がないのである。

「無言を表現する」ことと「無言で表現する」ことの差がコミックと小説の差の一つである。

ブラックジャックはたくさんの短編からなるが、
その多くは問題を投げかける形で話を括る。
きっと手塚自身も答えを持ち合わせておらず、それ自身が答えなのだろう。
その「言葉にならぬ答え」を必死に描いた作品。

それが「ブラックジャック」である。
一読あれ。
決断力 (角川oneテーマ21) 

「決断力」 羽生善治著

なにより羽生善治がキーボードで一発変換で来たことに一番驚いた(笑)

さて今回のこの本、将棋名人羽生さんの本である。
タイトル決断力とあるが、決断するという行為を将棋を通してつかんでいく。

彼曰く「直感の7割は正しい」そうだ。
そして勝負の一手で自分の直感を信じて即決する。
相手に考える暇を与えずプレッシャーを与える。
考えるときは「羽生にらみ」。

集中しすぎると「戻れなくなるのではないか」、という恐怖を味わったこともあるとか。
すさまじいまでの集中力である。

将棋は言ってみれば、どの駒をどこに打つか「のみ」である。
もちろんそれが難しい。
ありとあらゆる戦法やこれまでの相手の刺し方、経験、その他多くの情報が頭の中を駆け巡る。
がしかし、そこで重要なのは「捨てて選ぶ」ことなのだという。
あれもこれもでは時間が足りないし、なにより「独創的な一手」がさせない。
きまりきった手を打ってばかりでは相手には勝てない。
そういった意味で「前例をいかに捨て、相手に読ませず、素早く王手をかけるか」なのだ。

将棋の一手一手はすべてが「決断」である。

日ごろ優柔不断、思いきれない、選べない、そんな人は必読である。
決断の神髄とは。一読あれ。
 人間は歴史的観点からみても
「理解できないことを蔑む」傾向にある。

これはゆゆしき事態だ。

歴史的な例をあげてみよう。

*電気?雷でおなかが一杯になるんですか?
*個人用パソコンだって?お金がかかりすぎて現実的じゃないだろうに。
*モーツァルトさん、あなたの音楽は難しすぎるんですよ。一円にもなりゃしない。
*パソコン?どうせゲームしかしないんでしょ?
*速読術?読んだ気になるだけだろ。到底内容を理解しているとは思えないね。
*ロボット?高価な玩具が市場に受け入れられるわけあるまい。

まだまだある。
どれもこれも結果として絶大な効果をあげていることは言うまでもない。

ただしこれは「知りもしないで批難をするな」ということではない。
その時点で自分の理解を超えているということを自覚するかどうかが重要なのだ。
なぜならば「知った上で批難するなら問題ない」ということになってしまうからである。

例えば何らかの映画を観た際に
「面白くなかった。これは駄作だ」といった発言をよく目にする。
具体的には、

*話の流れが読めなかった
*展開についていけなかった
*自分の好みじゃなかった
*オチがなかった
*作者の言いたいことがわからなかった

等等。
要するに「自分に不快感を与えたものを許さない」という至極本能的な反応といえる。

技術は役に立てば価値が証明される。
しかしながら音楽にしろ映画にしろ何らかの作品が名作であるかどうかは
結局人々の感覚で評価せざるを得ない。

スズメは鷹の考えを理解できない。では鷹はアホなのか?
三角定規で人間の身長は測れない。ではネズミサイズが生物のベストサイズなのか?
冷蔵庫に車は入らない。そんな車は役立たずなのか?


自らの「規格外」を「規格内」にするための一手が必要であることは言うまでもない。
その一手が簡単に打てないことは容易に想像できる以上、
軽々しく「駄作」等と発言するのは自らの小ささを公言することに他ならず、
愚の骨頂といえよう。
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photo by 七ツ森  /  material by 素材のかけら
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北海道生まれ。
北海道にロボットフィールドを作ろうと日々奮闘中。
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