人間が必要と考えればそこに価値は生まれる。
今回の論点は、「価値」といったものはどこにその実体があるのか、ということだ。
さてここで質問である。
目の前に突然日本語を話す宇宙人が現れたとしよう。
彼は地球人のことがいろいろ知りたいいそうだ。
彼は質問をしてきた。
「車とはなんですか?見せてください。」
実際に自分の車を見せ、宇宙人を助手席に乗せて走る。
宇宙人は車というものを理解した。
そして彼は次の質問をした。
「政治とはなんですか?見せてください。」
これは困った。政治とは手にとって見せる訳にはいかない実体の無いもの。
とりあえず彼に国会の現場を見せてみる。
「彼らが『政治』なのですか?」
うーん、それも違う。
政治は一つの「現象」であり、それが目に見えない以上それを説明するのは若干難しい。
宇宙人の話はここまでであるが
そろそろ本題に移ろう。価値の話だ。
先程の話であれば、政治家は政治という現象を起こすことによって給料を得ていると表現できる。
国民が政治という現象に対して価値を感じている(支持率とはあまり関係ない)からだ。
では貴金属や宝石はどうだろうか?
さもそれらがとても高価で取り扱われているかのようだが、実際はそこに価値はない。
なぜならその貴金属がどれほど多く世界に存在しているか、
多くの人がどれだけ必要としているか、美しいかといった内容にその価値が左右されるからである。
要するに、その貴金属と人間が引き起こす現象そのものに価値があると考えることができる。
例えば車。
車だけであればただの鉄塊であるが、その車が引き起こす「移動」という現象に価値がある。
CDだけであればただの樹脂であるが、そのCDが引き起こす空気の振動現象に価値がある。
絵画だけであればただの塗料と繊維だけであるが、その絵画が引き起こす感情の昂り現象に価値がある。
そういった意味でリアルな価値というものは存在しない。

最近読む書籍では「潜在意識」に関するものが多い気がする。
潜在意識は意識できないから潜在意識なのであるが、
その存在を意識することそのものは可能である。
潜在的であるがゆえにその使い方を知る人は多くない。
家に帰ってくるとだらけてしまう人を考えてみよう。
人にもよるが、人間は外に出ることで刺激環境に置かれる。
その刺激によってさまざまな行動力を起こすことが可能だ。
家を出る前は「寒いからいや」「めんどくさいからいや」といったマイナスイメージであるが、
一度家を出てしまえば「本屋いきたい」「電気屋いきたい」「服屋行きたい」等願望が生まれるというわけだ。
刺激を受け、脳が一種の興奮状態にある(テンションが高い)状態だと
「家に帰っていろいろ調べごとしよう!」「勉強はじめよう!」等考えたりするわけだが、
いざ家に帰ってくるとだらだらし始めてしまうことも少なくないわけだ。
この理由はいかに?
単純に興奮状態が冷めてしまった、家について安心してしまった、という線が妥当のようだが
そこには潜在意識の大きな力が人間に働いていることを忘れてはならない。
さてここで質問を加えよう。
「自分の部屋はどれほどいい部屋であるか?」
質問の意図が若干わかりづらいかもしれない。
ここで述べたいのは
「部屋の環境が潜在意識に与える影響によって環境適応能力が良くも悪くも働く」
ということなのである。
個人差はあれど部屋の中には「妥協」や「先延ばし」のシンボルが多数ある。
*読もうと思って放置した本
*後で掃除しようと思ってたまったほこり
*中古ショップで買ったはいいけど見てないTV
*三日坊主で終わった壁のカレンダーチェック
*いつか整理しようと思ったカオス状態のコンセントまわり
ここで重要なのは、
きれいに整理整頓されていることがベストではない、ということだ。
以前レビューでも書いたが、デザイナーの佐藤氏は完璧な整理整頓派である。
これに対して苫米地氏はカオス派である。
かといって苫米地氏のデスクが汚いわけではない。
生産的な仕事をする上でそのカオスが彼にとってとても重要なわけだ。
そういった意味でそのカオス状態は妥協でも先延ばしでも無い。
さて、若干回り道をしてしまったが本題に戻ろう。
これらの妥協や先延ばしが潜在意識に与える影響の話だった。
これらのマイナスシンボルは「住人の在り方」を潜在的に決定する力を持つ。
例としては簡単で、大掃除をしたあとの部屋はしばらくの間住人はきれいに使おうとする。
また、きれいな結婚式場でびしっとスーツを着込んだ人は、いつも以上にびしっと行動する。
逆に、高価でも華美でもないがアットホームな内装のペンション等では人間は落ち着いてしまう。
シンボルが作り出した環境が人間に与えた影響のなせる業である。
自分の部屋に限ってはそのシンボルは自分で無意識に作り出していることが大半だ。
それゆえに非常にコントロールが難しいといえる。
一度整理整頓しても、マイナスシンボルはカビのように侵食してくる。
今一度部屋を見回してみよう。
自分の部屋に「妥協」や「先延ばし」等のマイナスシンボルはどれだけあるだろうか?

「デキる人の脳」 ノア・セント・ジョン著(本田直之訳)
今年初めてのブックレビューですね。去年はあまり本を読んでなかったので今年こそはっ!
さてこの本、本田直之氏の名前にひかれて手に取ったのですが
氏は今回訳者としての参加だそうですね。
にしても内容はかなりおもしろかったです。
ポイントとしては
1.従来のポジティブ・シンキングでは役不足
2.アフォーメーション(アファメーション)のすすめ
3.プラスの質問力、マイナスの質問力
この3つではないかと。まぁ実際2と3は対して変わりません。
それらの問題提起としては、
「自分はデキる」といくら言い聞かせても、それを否定する自分がいつもどこかにいるわけで
そんな状態でポジティブ・シンキングとわめいても何の効果もないではないか?
ということなんですね。
たしかに普段から電電も感じていたところです。
そこで本書では画期的な質問方法を提案しています。
それが「プラスの質問」と呼ばれるものなのですね。
ざくっと言うと、「出来ない理由」ではなく「出来る理由」を自分に問うてみる、ということ。
たとえば普段から「仕事を先延ばしにする癖」があったとしよう。
「どうして俺はいつも仕事を先延ばししてしまうのだろう?」
→俺はきっとこの仕事に向いてないのだ
→俺はきっと天性の怠け者なのだ
→上司が俺に仕事を与えすぎなのだ
とまぁいくらでも「出来ない理由」が思いついてしまうわけなのです。
ここで重要なのが「出来ない理由」を見つけられるなら「出来る理由」も見つけられる、ということ。
自分に対する質問の仕方が間違っているために、「出来ない理由」ばかりを見つけてしまうのです。
では具体的にどのように質問すればいいのか?
知りたいですねぇ。
書店でどうぞ(笑)

先日本を読んでいて、「知識、見識、胆識」のフレームワークを
勝間氏が「雲、雨、傘」と表現していた。なるほど~
さて、今回のお題というか気づきは
「善悪という価値観は評価しようがなく、素数のように自らか1でしか割れない」
ということ。
数学や物理であれば計算が合ってる、合ってないで判断できますが
一般的な社会的問題では個人個人によってその善悪判断が変わってきます。
先ほどの勝間氏のフレームワークを使ってみると、
雲→真っ黒な雲が出てきた
雨→あれはきっと雨雲に違いない
傘→今日は傘を持って出かけよう
といった具合になる。
今回はこの「雨」の部分が問題になるわけだ。
さまざまな状況によってこの「見識・判断としての雨」が左右される。
雨雲程度であれば問題は簡単だが、倫理や道徳といった概念が絡むと難しい。
そういった意味で、善悪というのは個人が持つ「ものさし」とたとえることができる。
ではその「ものさし」がどれだけいいものかをどうやって評価したらいいだろうか?
これは他の人の「ものさし」と比較してもあまり意味はない。
この「ものさし」という表現自体が曖昧なもので、長ければいいというものでもないからだ。
要するに、個人が思っている「善悪」とは自らの「善悪」でしか判断できない。
その点で素数的である。
対象を善悪で二分しようとすることそのものがナンセンスと言える。

新年初グリグリ思考~
さて今回のお題は
「情報に魂は宿るのか?」
ここでの魂はかなり広い意味で捉えてください。
物質に魂が宿るという現象は日々実感していること。
人間もそうだしすべての動植物がそうである。
また、概念としての魂であれば、美術品にも魂が込められているといえる。
何をそんな抽象的な、と思われるかもしれないが
「モノを創造する」とは自分の分身を作ることに他ならない。
自分の頭の中にあるものを外界の物質を用いて具現化し、
魂の持つ時間を消費してそれを完成へと導く。
繁殖も成長もしないが、それはやはり魂の分身なのである。
さて本題に入ろう。
これまでは物質に魂が宿ることを述べてきたが、
実体をもたないものに魂が宿るかどうかを考えたい。
結論から言うと「ありえる」というのが電電の意見である。
なぜなら、芸術作品と呼ばれるものは実態を持たないものも多いからだ。
歌、思想、哲学、物語、技、などなど・・・。
しかもそれらはその本体を物質的に保存しなくても生き続けることが可能で、
さらに物質の力を借りて増殖することが可能である。
その実態を持たぬ魂達は後世にわたり人々に影響を与え続ける。
そういった意味で、死んだ人が生きている人の胸の中に生き続けるというのは
ドラマチックなセリフでもなんでもないのである。
まさに文字通りだ。

先日、かの有名な「アバター」を3Dで見てきた。
作品自体はSFとしておもしろかったです。
んでその3Dだが、立体になることでここまで臨場感が出るものかと
実際かなり感心してしまった電電でした。
ただーし!ただーし!
これから見る人に注意だ!
座る位置はなるべく中央!んで中段から後段!
それからコンタクトできる人はなるべくコンタクト!
メガネしかないよってひとはメガネ装着型3Dレンズ(メガネ)を買うべし。
電電は超満員の中、右側前列にいたわけですね。
1.浮き上がり方が不自然になる
2.字幕が眼で追いづらくなる
3.3Dメガネの付け心地が悪くて始終イライラする
きちんと楽しみたい人は以上の点に気をつけて!
映画の新時代の幕開けだ。
一年の計は元旦にあり、ということで目標設定をしよう。
2010年の目標コンセプト:「一流エンジニアに必要な基礎力を作ろう!」
1.月~金は9時5時で規則正しい勉強生活を送る
2.ホームロボットを完成させてニコ動にUPする
3.海外学会に出る
4.就職先情報を集めて、的を絞る
5.フォトリーディングをマスターする
6.貼るだけ家計簿をみっちりつける
7.英語論文を読めるリーディング能力を開発する
8.パソコンに高速かつ大容量SSDを搭載する
9.数学、物理の基礎学習をマスターする
10.コミュニケーション・プレゼン用に絵心を開発する
11.アーキテクトのシステムを完成させる
12.修士論文を書き上げて無事に卒業する
13.M2で卒業旅行をする
14.PHP、FLASHの達人になってKNOWSを稼働させる
15.SAISのシステムを完成させる
16.世界的文学の見識を深める
うーん、まだまだありそうだなぁ。
とりあえずざくっと書いてみました。
掘り下げるにはもうちょい時間がかかりそうですが、追々ということで。
今年もがんばろぅ~!!
1.サンタした
2.アーキテクトのシステム基礎を作った
3.そこそこ本を読んだ
4.はじめてのオリジナルロボットを1からくみ上げた
5.論文を一本投稿して採録された
6.Inteli7とWindows7を搭載した
7.SAISをスーパーバイザーとして創設した(頑張れよ代表!)
目新しいことと言えばこの7つくらいです。
電電が研究者としての達成は2,4,5あたりが重要になってくるでしょう。
来年はもっといろいろなことを成し遂げたいと考えています。
まぁなにを成し遂げるかは元旦に書くとしましょうか。
それにしても今年も仲間に恵まれました。
やはり仲間は何にも代えがたい財産であることは間違いない!
来年も良き仲間に恵まれますように。
では
08 | 2025/09 | 10 |
S | M | T | W | T | F | S |
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北海道にロボットフィールドを作ろうと日々奮闘中。