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タイトルから来た方、申し訳ありませんが啓発的な内容ではありません(笑)
ご了承くださいませ。

本日夜に噂の「コクリコ坂から」を観てきました。
ポスターやCMからは想像もできないほど、熱い青年たちの話です。
激熱です!
自分は熱い奴だと思っている方々は、エネルギー貰える映画ですよ。

宮崎駿監督の息子さんがメガホンをとるということで、
ゲド戦記の件もあり観ることを躊躇している方も多いかと思います。

私は終始ニヤニヤしながら観ておりました。
おそらく高校生以下には面白くないかもなぁと思いつつ、
逆にそれ以上の年齢?であれば、かなり楽しい映画だと。

とりあえずエスケープがマイブームになりつつあります(笑)


私自身、滅多なことでは何かを「批評」することはありませんが、
たまには内面を吐露するのもいいかと思い、言葉を選びながら綴ろうかと思います。

以前も似たようなことを書いた気がするが、
今回も同様に。おそらく内面的に多少変化しているでしょう。

コクリコに限らないが、映画のレビューを見ると
「がっかり」「つまらん」「期待しなければ普通」といった文言が見られる。
原則必要以上に意識しないのが私のポリシーです。

「面白くない映画、作品」というのは確実にあるはずで、
それはあくまで「個人的な好みの範囲を出ない」というのが私見。

それを踏まえたうえで思えてくることが、
「私見、好み」=「作品の出来」と関連付ける思考、人々の多さ。
極端に言えば「自分が面白くないと思った作品は駄作」ってやつですね。

ここで頭をもたげるのが「好む人が多ければ秀作なのか?」ということ。
昔の作曲家のように時代を経ることで秀作として受け入れられる作品も多いが、
ここではあくまでリアルタイムでの秀作に的を絞って考えていきたい。

映画にしろ何にしろ、
まったくの我流というものは中々存在せず、
「誰かに受け入れてもらう」ためのテンプレートというものが存在する。
ピカソのゲルニカが当初理解されなかった理由はそこら辺にあるが、
彼の場合はゲルニカを見た幼い少年が恐怖におののき、大人たちがハッとしたという逸話も持つ。

特にジブリの場合は懐古的だったり近代SFだったりと、
ノスタルジックな側面をいつも備えていただけに、その点は重要となろう。
そして監督やスタッフ達の「作品的善」をメッセージとして映像化しているわけだ。
宮崎駿監督に限らず、その伝え方の上手な人々が「多くの人に評価されやすく」、
なおかつ「作品的善」に同意して貰えるというのもうなずける話だ。

ここまでの話で作品を捉えるためのテーマを
私なりに「作品的善」と「伝え方」に二分してみたわけだが、
先に述べた「評価しなかった人々」は、どのように捉えることが出来るだろうか?

一つは、作品的善に同意できなかった人。
もう一つは、伝え方に不満を覚えた人。

青年時の青臭さをチープと受け取ってしまえば、同意は出来まい。
同様に、作者やキャラクターの感情表現を意味深にしすぎると、ストーリーが追いづらい。

ここで話を終わらせると、
「結局は人の好みに合うかどうかじゃない?」「人それぞれじゃない?」といった
月並みな回答が得られてしまいそうなので、
さらに踏み込んで考える必要がある。

先に「作品的善」と「伝え方」に二分されると述べたが、
実はこの二分の中には観客が含まれておらず、
観客要素を無視して作品を語ることはできない。

観客要素は大別するのがなかなか難しい。
好みをはじめ、年齢層や性別、時代背景もあろう。

私が最も重要視したい要素は「感じる能力」である。
ここであえて述べておきたいのは、
「作品を観るうえで個人の能力が必要になるのは、果たして是か非か」
といった議論とは異にしている点だ。
この命題で議論を始めると、
これは暗に「感じ取る能力のない奴は生意気に批評などするな」といった意見が生まれかねないからだ。
また、「では、感じ取る能力がある人とない人の境はどんなもので、どんな人なら批評してもいいのか?」
といった議論も巻き起こってしまうだろう。

本来感じる能力とは、
誰かが持っていることで自分が得をするような類のものではない。
持っている人自身が得をするものである。
要は、「誰かに要求されるような能力ではない」ということ。
それを批評に関する議論と混ぜるから要求云々の話へと飛躍してしまうように思える。

感じる能力の高め方に関しては諸説あり、それこそ好みもあるので
ここでは深く述べることはしない。

しかしながら、感じる能力が高くなれば、
それは自然と感動できる作品、受け入れられる作品が増えることを意味する。
誰もが見逃すような、作者の小さな思い入れに気付くことが出来る。

そういった意味で、
自分に理解できぬ、感じられぬものに対して躍起になって批評をこねくり回すよりかは、
より多くを感じ感動できる自分を目指し、多くに触れ、反芻することに時間を使いたいと思う。





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