救いようのない悪い癖といったものは短所と名づけるにふさわしい。
約束を守らない。礼を尽くさない。ヒトを食い物にする。
短所短所。みーんな短所。
それに対して欠点はシフトの仕方次第で長所にも短所にもなる。
堪忍袋の尾が欠けていれば短気。
つつましさが欠けていれば目立ちたがり屋。
柔軟さが欠けていれば頑固。
一見短所のようにも見えるという話は以前にしたが、実際のシフトはなかなか難しい。
短気とは、堪忍袋の尾を短くするという「対価」を払う代わりに
問題意識のアンテナを研ぎ澄まして、怒りという形でエネルギーを「生み出せる」という能力を得る。
目立ちたがり屋とは、つつましさや自制心を対価として払う代わりに
自信、行動力、人前での心地よい緊張感を得る事ができる。
頑固とは、柔軟さを対価として払う代わりに
ちょっとやそっとでは揺るがない初志貫徹精神、こだわり、妥協しない姿勢を手に入れることが可能だ。
自分分析をするときは欠点と短所を分けて考えなきゃいけないと思うんだ。
短所はなおさなくちゃならん。
でも欠点は短所ではないのであればなおす必要など無い。
ただ、シフトする必要はあると思うケロロなのでした。
それは「カリスマに基づいたアイデンティティを示す事」だと聞きました。
つまり自分の良い点を目立たせること。
これは長所とか成功談とか言うのではなくて、
むしろ七転八倒して這い上がっての「実績」としての良い点です。
特権、さらに言うなら自然特権。
このアイデンティティがなければそもそも人はついてこない。
自分のカリスマ・自分の良い点をちゃんと認知し、使う事でリーダーたりえる事ができる。
それを知るにはやはりプラスマイナスゼロの境地が必要なわけだ。
卑下も誇張もせず自分の実績をみつめること。
今度喫茶店に入り浸って考える必要があるな。
うーん、うーん
なによりH先生とじっくりお話できる機会があったのが大収穫。
H先生と話していて痛感したのが個人キラーアプリケーション。
ケロロにはまだキラーアプリケーションがありません。
ケロロをケロロたらしめるには平均的に高い能力よりも
どこかひとつ需要の高い部分でずば抜けた能力を発揮せねばなりません。
ケロロのキラーアプリケーションはなんだろね?
これからじっくり急いで開発していきます。
本日の個人ミーティングで、
先生に「ケロロの考えは独創的というか我流というか・・・」
といった指摘を受けました。
我流や独創的といったものの良い面というのは大いにあるが、
これを最大限に活かせる人というのは他流や一般的なものを熟知している、
つまり自分が我流である・独創的であると具体的に自覚できている人ではないだろうか。
自分が我流である事も知らないと、いい方向にずれているのか悪い方向にずれているのかさえわからない。
我流の活かしどころを間違えないためにも他流というものを十分に理解しておきたい。
あなたの集中力はどれくらいですか?
そう聞かれた場合、「私の集中力は何分です」と分単位で答えられますか?
ケロロはちゃんと測りました。
ケロロの集中力、しかも最高レベルの集中力は「10分」でした。
この「最高レベルの集中力」とは「頭がフル回転」していて「勢いが最もある状態」を指します。
10分を超えると頭の回転が落ちて来ます。勢いは衰えないんだけれど、空回り状態。
自分の集中力を具体的に計測するということには3つの意味があります。
1.具体的な開発が出来る
まずはこれですね。10分しかもたないという事がわかっているので、次は15分を目指そう、といった目標設定をする事が出来るわけです。これによって自分の集中力がどれくらい成長したかもわかるわけですね。
2.具体的な必要休息時間がわかる
10分の超集中の後には休息もしくは休息を兼ねた集中しなくて良い作業をしなくてはなりません。出来れば短いほうが良いわけですが、一体最適な時間とはどれくらいなのかを測ることができるのです。10分の超集中の後に10分休憩し、また超集中した場合5分しかもちませんでした、という事であれば休息が足りていないことになる。この超集中と集中しなくて良い作業を効率よく繰り返すのがポイントなわけです。
3.超集中のタイムリミットがわかる
超集中をするときは常に時間を計測してください。そうすれば「あと何分自分の超集中が続くのか」がわかるため、「あと何分以内に仕事を終わらせる必要があるか」として拍車をかけることが出来る。加え、超集中の密度を上げることが出来るんですね。
この3点ではないかと今のところ考えています。
来週には15分を目指したいところですね。
ちなみにこの超集中、人に見せられる姿ではありません(笑)
部屋の中を歩き回りながらぶつぶつ独り言を言っております。
超集中のときはナリフリかまっていてはいけないのですよ!
この超集中法はもうちょっと開拓の余地がありそうですねぃ・・・
はっきり言ってケロロは「話を聞くより聞かせるほうが好き」です。
実はケロロは「短気でおこりんぼ」です。
実はケロロは「ロングスリーパー」です。
上記4点はとても褒められた性格・性質ではないですね。
先ほど渡邉美樹(わたなべみき)社長のコラムを読んだところです。
渡邉社長は自称「超貪欲」なんだそうですよ。
以下抜粋です。(参考:ベンチャー通信2007December29)
「企業家の条件は、第一に猛烈な欲を持っていることですね。
成功する人は、みんな欲がすごい強い。
また、その欲を自分のために使うのではなく、
世のため人のために使う人は大きく成功します。」
なるほど、欲を他人のために使うと言うわけだ。
ケロロが思うに性格ほど強い力はありません。
たとえ自分が悪いと思っていてもそれをなおせないくらいに強い。
だったらそれが悪いものだろうが良いものだろうが最大限に利用しない手はないしょ。
ここでひとつの例をあげよう。
たまに街で見かけるヴィジュアル系の服装をした人。
見た人にしてみれば賛否両論。
本人の好きにすればいい、という人もいれば、そのセンスに不快感を示す人もいる。
どちらが正しいという議論をしたいわけではない。
ケロロ的にはその外見にふさわしいクオリティを求めたいと思うんだな。
パントマイマーが奇抜な格好をしても、そのパントマイムというアクションクオリティによって
一般向きな正当性を得ることが出来る。
「なんだあの服装は」という議論は無い。
チンドン屋も同じじゃないかな。
目立つことが仕事であれば、目立ちたがり屋という性格はまさに天からの授かりモノである。
個人的趣向による「目立ち」はあまり好かれない。
それから、「話したがり屋、聞かせたがり屋」。
これも目立ちたがり屋と同じように言えると思うんだ。
ただの一方的なおしゃべりや、意見の押し付けは誰からも嫌われる。
ここで求めたいクオリティは、話したい、聞かせたいのであれば
人が「聞きたくなる」ようなトーククオリティを追求することだと思うんだな。
内容はもちろんのこと、「間」や口調、そして「聞く」ということもトーククオリティに含まれる。
人と会話する際、自分の意見を相手なりに解釈して返してくれるからこそ会話に意味がある。
言ってみれば、自分に相手の「意見」を「インプット」すると
「クオリティの高い意見」を「アウトプット」出来ればいいわけだ。
コンサルでお金を取っている人はこのクオリティが半端ではない。
アウトプットのクオリティをあげるには言ってみれば内部変換機、
すなわち相手の意見を租借して自分の意見とする機能を高める必要がある。
その機能が高ければ高いほど「インプット」を多くし、余計なノイズを載せたりはしない。
人の性格は押し殺すことは出来ても変えることは至難の技だと思うんだ。
であるならば、変えるということに力を注ぐより、
転換とクオリティ向上に力を入れたほうが
それこそ自分に「マッチ」した人間作りができるんじゃないかなと思うケロロなのでした。
ゆえに豊かな言葉は豊かなイメージを生み、人の心をうつ。
言霊というのはそこらへんなのかもしれん。
言葉には基本「意思」がつきそう。
口に出すか出さないかの差は大きい。
「俺にはこの課題は無理だな」
難題に直面したらこう思うのは当然。
ただ、それを意識的に口にするというのは
「ひとつのハードルを越える」ことを意味するのだと考える。
思っていたことを「言葉として具体化」するというハードル。
もちろんこのハードルを越えれば「無理」に傾くのは道理。
昔えらい人が言った台詞に
「人間に耳が二つ、口がひとつあるのは、多く聞き、少なく語るためである」
というのがある。
なるほどな。
口数が少ないほうがいいというのではあるまい。
その言霊の威力ゆえに、その力を耳でしっかり受け止め、
具体化するか否かを自分の中で練った上で言葉という「意思を載せた」状態にせねばならない。
思ったことをいわずに殺してしまうことは簡単。
思ったことをポンポン発射するのも簡単。
言葉は適度な時間と意思によって暖めれば生命が宿る。
名言が人の心に宿るのは、その意思としての生命ゆえではないかとケロロは考えるわけです。
腹八分目とはなかなか理にかなった台詞である。
ただこれは「健康面」に関しての言葉ではなかろうかと考える。
一日24時間の中で最大限の仕事効率を生むには腹八分目は多い気がする。
基本おなかに物を入れるとその分頭は働かなくなる。
かといっておなかがすくと気が散って集中力が激減する。
その「間」の「満腹でもない空腹でもない状態」を維持できればその間食欲による影響を最小限に出来る。
もちろんのこと三食はしっかり取るべきであるが、何をどれだけとるかが重要なことはいうまでもない。
加え、3回の食事のなかでどのタイミングで何を食べるかも重要となる。
大抵朝食をとった後は学校へ行く。通学時間は45分ほど。
ゆえに朝食は「若干多め」にとることにして、昼食を軽くしたいところだ。
加え、昼食後の間食はケロロは多くはないが時間は「長い」んだな。
絶対に空腹と腹いっぱい状態は作らないように努めているケロロなのでした。
もしかしたら健康には悪いかもしれないなぁ・・・
とある事件をきっかけに追い始めたわけであるが、
この世に自分の存在が有効であると自覚したい。
ここで重要なのが対象が「自分ひとり」であるということ。
他人の存在価値を自分の定規で測るなどケロロには無理です。
ただただ、自分に厳しくあるために常に存在価値を追求したい。
ケロロはロボットで世界に貢献すると決めております。
ただそれだけじゃいけない。
自分が開発したもの、自分がやっていることが二番煎じではいけないんだよ。
「自分がやらなきゃ誰もやらない」ことでないとダメなんだな。
そこを追求するからこそケロロという存在が大事になってくるわけだ。
ベートーベンは耳が不自由になったときに自殺を考えたそうです。
遺書まで書いて、書きあがったのが早朝。
最後の朝日に別れを告げようと窓を開け、その風景の美しさにうたれたと言う。
そこで彼は一言こう言い放った。
「たとえ耳が聞こえなくても、私には音符がある。私に音符がある限り
ベートーベンは世界に一人しかいないのだ。」
こうしてベートーベンは作曲家としての第二の人生を歩み始めたわけだ。
またあるとき、ベートーベンは自分のスポンサー貴族の家を訪ねた。
当時はフランス軍の占領下であり、たまたまその家にはフランス兵数名が「遊びに」来ていた。
ぐでんぐでんに酔っ払ったフランス兵がベートーベンにピアノを弾くように「命令」し、
スポンサー貴族も「どうか私の顔をたてて弾いてくれないか」とヘコヘコする。
そのヘコヘコ具合にカチンときたベートーベンは固く拒む。
結局スポンサー貴族は面目丸つぶれで怒り出し、ベートーベンを家から追い出してしまう。
そのときも彼はこう台詞を残した。
「貴族などいくらでもいる。ベートーベンは世界に一人だ。」
自分の音楽に誇りを持ち、ゆえに自分にとんでもなく厳しい彼はケロロの尊敬の対象なのです。
頑固なせいで対立する人も多かったらしいけれど・・・。
プライドの高さと頑固さゆえに天才音楽家としてのアイデンティティーを確立したベートーベン。
本来プライドが高かったり頑固だったりすると嫌われる対象となるわけだが、
彼はそれを最大限に「利用」したゆえの歴史的成功人物なのではないだろうかとケロロは考える。
デキスギ君のような小学生とは思えない高貴(?)な人物はめったに存在しないが、
のび太のように見栄っ張りで意気地なしな人間は結構多いように思う。
だが、その見栄っ張りや意気地なしといった一見マイナス要素とも思える性格を
上手に生かせば、一番楽な道のりでその人のアイデンティティーを確立できるんじゃないかな。
デキスギ君を目指すより、しずかちゃんと結婚した頃ののび太を目指したいケロロなのでした。
かといってありとあらゆる映画を総なめにしているわけでもありません。
同じ映画を何度も観るのがすきなんだな。
その映画にとことん没頭し、その作りこみに感嘆し、
その映画を「作っている」ところへと想いを馳せる。
最近は「背景」に注目する事が多い。
背景には様々な小物類が描かれているが、
そのちょっとした動きや作り込み具合で全体の雰囲気がグッと変わるんだ。
ぱっと見では気づかないけれど、そこにケロロは気づきたいわけだな。
本編とは全く関係ない小道具や脇役の細かな演技。
そういったもの達が映画をグググッと引き立てるんだとおもうんだよ。
コミックの実写化、本の実写化は結構叩かれる事が多いけれど
モノによってはケロロは大歓迎なこともありますね。
アメリカとか行くと逆なのかもしれないな。
バットマンやスパイダーマンなんかは元々コミックだったらしいけど、
映画を作ってもヒットをかましているしね。
日本ではなかなかそうは行かないみたい。
「もと」となるものの質の違いも大きく影響しているのかもしれないね。
07 | 2025/08 | 09 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
北海道にロボットフィールドを作ろうと日々奮闘中。