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sinkyo.jpg 








なんと3月は業者が清掃に入るため、
私の引っ越しは4月2日になってしまいました(笑)

にしても引っ越しってお金けっこうかかるんだねぇ。
大学に近くて、けっこう至れり尽くせりな物件だとこんなものか。
創作活動をするならば、ワンルームってのはさすがにきつい。
が、アルバイトのあてもなんとかなりそうなので、しっかり稼ごう。

当初は4階の予定でしたが、
空き部屋を教えてもらって
結局3階にしました。
上下左右部屋に挟まれているので、
暖房が入っていないにも関わらず、かなり暖かかったですよ。
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robopuro.jpg 







本日はロボットフィールドプロデュース2010の最終日でした。
六足昆虫型ロボットをパソコンで操作して、
ビーチフラグをしてもらいましたよ。

アンケートでは多くの方から楽しめたとの回答を頂きました。
ありがとうございます。

しかしながら、
今回は我々の不手際により
参加者の皆様にご迷惑をおかけすることが多々ありました。
本当に申し訳ありません。

今回の反省点は
1.バッテリーが足りなかった
2.安定化電源を1つしか調達できなかった
3.設計の甘さからか、途中で破損する機体が存在した
4.長すぎるケーブルだと、電源を供給できないことに気付いていなかった。

結果、バッテリーを調達する間に
参加者の方々に待っていただく時間が発生してしまいました。
ただでさえ短いイベント時間であったにもかかわらず、
その時間をロスしてしまったわけです。

それらの多くが事前のリハーサルを綿密に行うことで
回避できたことを考えれば、私たち自身残念です。

そんな状況の中でも、
ロボットやソフトウェアをいじったり、
参加者同士で意見を交換するなど
参加者の皆様の主体性の高さに救われました。

今回の件に関して、
「今後このようなことのなきよう精進致します」
というような平べったい言葉でしめるわけにはいきません。

来週月曜の会議では徹底的に洗い出すと同時に、
「前傾姿勢でブラッシュアップを図る」ことをお約束いたします。
来年度からの内容では、一回りも二回りも成長できているように。

話し合う内容として、
1.従来のやり方、コンセプトを根本的に見直す
2.活動との一貫性を重視する
3.運営システムを確定し、それに沿ったソフトウェアを独自開発する

大別してこの3つとなります。
参加者の皆様、そしてその保護者様からのご意見、ご指摘、
大歓迎です。
どのような内容でも構いませんので、
どしどしお寄せ頂ければと思います。

今日はご参加、本当にありがとうございます。
また会場で会いましょう!

 周囲の人間と良好な関係を築き、
円滑に生活をする、というのは
いかにも「健康」な思想のテンプレートに思える。
実際そう思う人も多い。

こういったネット記事を見るたびに
そのレビューの一部として、
「コミュニケーションが苦痛な人だっているんだ」
といったコメントが見受けられるのも少なくない。

こういった発言はいかにもネガティブな印象を受け、
理想を言うならば良好な関係を築いてほしいと周囲が願ったりする。

さて、今回のお題は
「孤独を望むのは不健康なのか?」ということだ。

と聞くと
「別に個人の自由だから、一概に不健康と言い切るのはよくない。
実際自分だって孤独になりたいことはあるし。理解はできる。」
と、一定の理解を示しつつ
どことなく「できればコミュニケーションを・・・」といった意図が見え隠れする。

コミュニケーションの重要性に異を唱えるつもりはないが、
はたして「べき論」で語ってよいものかどうか、検証してみたい。

では、どのような状態を「コミュニケーションを大事にしている」と言えるのか。
渋谷のスクランブル交差点に立てばいいのか?
これだと周囲に人は大勢いても、意思疎通そのものが行われていない。

会社においてチームで仕事をしている状態はどうだろうか?
プロジェクトは問題をいくつか抱えつつも、なんとかやっていけている。
メンバーどうして意思疎通をしながら励ましあい、仕事を実行する。
このような状態であればコミュニケーションを大事にしていると言えそうだ。

が、ここで考慮すべきは
「リーダーは孤独である」と感じているリーダーの数が少なくないことである。
メンバーとは日々コミュニケーションし、時には雑談もする。
それでもリーダーたちは孤独を感じているのである。
そういう職であるということを許容、もしくはそうであると認めている人々は、
言い換えればそのポジションによって「孤独を受け入れている」こととなる。

とするならば、そのリーダーたちは「負け組」なのであろうか?
そこまで極端な意見でなくとも、理想状態ではないのであろうか?

リーダーの件に関してはあくまで一例であるが、
ここから考えられるのは
はたして「コミュニケーションが重要である」ということと「孤独を認める」ということは
相反する思想なのであろうか?ということである。

「孤独を許容することと、好むことは別だ!」という意見もあろう。
その通りである。
「しかたがないことなのか、そもそも孤独が好きなのか」は別に見える。
しかしながら、共通する点として「自らそれを選択」しているのである。

ここまで来ると「コミュニケーションすること」と「孤独である」ことが
対義語ではないことは分かってきたが、
であるならば「コミュニケーションとはなんだ」となる。

おそらくこの問題の根本を翻訳するとすれば
「他人との関わりを積極的に持つか否か」と考えられる。
他人との関わりを持ちたくないと考え、それを実践すれば
結果的に孤独になるのは想像するにたやすい。
これは「関わらないという選択」の「結果」として孤独になったと捉えられる。

先の話と合わせれば、
「人とかかわらない」≠「孤独」ということになろう。
このように抽出すると違和感を感じる人も多いかもしれない。
ほとんどイコールじゃないの?と。

ここで必要になるのは「人とかかわる」ということに関して、
もうすこし掘り下げることだろう。
単純に「かかわる」だけで、その様式を問わなければ
人に道を聞いただけで「孤独ではない」ということになる。
が、人が「自分は孤独だ」と思うのは、もっと本能的な所ではあるまいか。

リーダーの話をするならば、
「メンバーの意図をくんであげられてない」
「リーダーの気持ちがわかってくれる人がいない」
「会話はするものの、上下関係が邪魔をしている」
等といった「気持ちの交換」が、その質を左右しているように思える。

要は「気持ちのやり取り」と「情報の伝達」が別物であるという結論に至るわけだ。

ということで冒頭の命題に戻ろう。
「人とかかわりたくない」と言って「孤独を選択」したい人々の望みとはいったい何なのだろうか?

気持ちのやり取りをしたくない。
自分の気持ちを知られたくない。
他人に興味がない。
情報の伝達だけであれば、無機質な印象が強く敬遠したい。

まだまだありそうだが、こういった例は考えられる。
そういった意味で、
「コミュニケーションが大事」と述べる人こそ、
孤独という概念、気持ちのやり取りに関して深堀する必要がある。

孤独を選ぶ人はコミュニケーションを否定しているわけではないし、
孤独を好む人は負け組なのでもない。
むしろ負け組であると認識する人は、
その時点で内面に持つ「コミュニケーションの概念の質」が疑われることになりかねないのだ。

 数学的な証明をしても
直観的な汎用性は得られないため、
ここでは日本語に翻訳することにしてみた。

「(-1)×(-1)=+1」を日本語訳すると、
「難しいことを小難しく教えることは簡単」となる。

「(+1)×(-1)=-1」を日本語訳すると、
「簡単なことを難しく深堀りするのは骨が折れる」となる。

「(-1)×(+1)=-1」を日本語訳すると、
「難しいことをわかりやすく簡単に教えることは非常に困難である」となる。

「(+1)×(+1)=+1」を日本語訳すると、
「簡単なことをシンプルに教えるのがスマートである」となる。

このように考えると、
「(-1)×(-1)=+1」と「(+1)×(+1)=+1」で得られた
「+1」の意味が全く変わってくることに気付くわけだ。

同様に「+0」と「-0」も違う。

のび太の「60点」と出木杉君の「60点」も全然違う。

そういった意味で、
無味乾燥に思われがちな数学とは
非常に深く人間感性と結びついた学問と言えよう。


すべての「+1」を一切差別することなく同様に扱うのがデジタルとするならば、
人間がアナログであるということも、「数学的」に理解することが可能なのである。

多くの人間が妄信的に求める「平等」とか「公平」といった概念は
仮に達成できたとするならば、非常に無味乾燥でデジタルな結果を招くのかもしれない。



 
友人からグラフィックボード借りてきた。
ファンレスを試してみたいと思っていたところで、
ファン付きのやつとしばし交換したってわけです。

一週間に一度はパソコン内部をいじってる人間としては、
XPがだんだん使いづらくなってきたと感じています。

Windows7ってドライバとかのインストールが非常に楽な気がする。
XPってドライバをHDDから探すとき特定のフォルダを指定してやらなきゃいけないし。
そういった意味で7は相当改善されたんだなぁって思います。

いまサブで使ってるPCも7に乗り換えちゃおうかなーなんて思うけれど、
一人暮らしを始めるうえで無駄遣いはできませんね。

年間の予算を立ててみたら、リサーチアシスタントの給料ではキツすぎる。
専門学校で講師アルバイトがありそうなので、そちらを検討しております。
にしても使いすぎはやはりいけません。

そもそもモノづくりの神髄は「自分でなんとかする」ことであって
「金の力でなんとかする」とは相反する面も多々あるわけですから。

最近故障したディスプレイもアナログ端子であれば使えるわけで。
「分相応」ってのは好きな言葉ではないのだが、
おそらく自分の中で考える「分相応」っていう言葉の意味に誤解が多いのだろうと思う。
そこらへんに関しては自分で整理して後日述べることとしよう。
 去年ブレイクした「正義の話をしよう」を読んでおります。
まだ最初しか手をつけておりませんが、面白いのなんのって(笑)

相当濃い内容となっているので、一行一行丁寧に読んでます。

「アメリカは富を持つことを認めている。
しかしながら、強欲に対して報酬が支払われることには我慢できない。」

リーマンショックのトリガー企業の一つであったAIGでは
当時の役員たちがリーマンショック後に莫大なボーナスを貰っている。

日本よりもチャレンジや失敗に対し寛容かつ攻撃的な意味での好意的であるアメリカは
やはりこの事実には憤慨したようだ。

幸福、自由、美徳。

この3つが複雑に折り重なって人々の思想となる。
なにやらディスプレイの様子がおかしかったので調査してみた。

おかしい内容
★DVI入力が認識されず、「汎用非PNPモニタ」と表示される
★アナログ入力だと認識される

試した内容
★グラボを入れ替える
★モニタのドライバを消去して再インストール
★ケーブルを変える

モニタドライバを一度消去した再、正常に写ったことが一度だけありました。
が、すぐに解像度がおかしくなって・・・

マザボの次はモニタかよぅ~。
というか壊れてるけどかろうじて使えるモニタしかない(笑)
新しいのを買おうかな。
でもお金がないな。
 私用で3連休を本州で過ごしました。
ブログを更新する予定でしたが、
2年前のガラパゴス携帯では満足にできません。
ログインすらできないとか(笑)
はやいところスマートフォンがほしいところです。
レグザとかエクスペリアプレイとか、個人的に注目。

さて、今回の御題は「拘束こそ自由」という一見矛盾したものです。
過去に書いた記事ともつながってきます。

たとえば、私のようなネットやPC、およびそれに類するものにどっぷり漬かった人間を、
ヨーロッパの田舎へ引越しさせたとしましょう。
果たしてそれはネットからの開放でしょうか。
それとも情報からの隔離でしょうか。


見方を変えれば、どちらとも捉えられる、
というのはこの際ナシにしましょう。

そもそも「誰か」に対して「情報を与える」ということは、
どういうことなのでしょうか?

情報に限らず、誰かに何かを与える行為は
ニュートラルな意味での「拘束」に当たります。
自分の子供に名前をつけると、それ以外の名前は基本名乗れません。
もちろん芸名なり改名なり手段はありますが。
言い換えれば「船のいかり」に非常によく似ていると言えるでしょう。
いかりがなければ、船は波にさらわれてどこかへ流れていってしまう。
いかりを下ろすという行為は「私はそこに立ち止まりたいのだ」という意思表示とも言えるわけです。

もう一つ例を。
某アニメからの引用ではありますが。

あなたが宇宙空間に漂っているとしましょう。
自由にしてください。
といわれても、実際手も足も出ないはず。
思わず叫ぶでしょう。
「誰か俺を地面に拘束してくれ!」と。
そうすればあなたは地面の上を縦横無尽に歩き回れるでしょう。
もしかしたらそれでは物足りないかもしれません。
「誰か俺に居場所をくれ!」と。

ありとあらゆる拘束を受け、
人間は自分を自分たらしめることができると考えられます。

自由すぎるとかえって人間は何もできなくなる。
「拘束」という名の地面を歩くほうが「楽」でしょう。

しかしながら、
そこに「いる」ために、寄りかかる壁を作りすぎてしまうと
自由を渇望したりする。

そういった意味で自由とは非常に究極的な表現と言えるわけです。

「自由にやりたいんだ、俺は」と思っている人は
その自由という単語の意味を今一度噛み砕く必要があるでしょう。
少なくとも「宇宙空間に放り出してくれ」という意味ではないはずですから。
 人間は自らの眼球を見ることはできない。

同様に、自らの「思考そのもの」を思考することも困難である。
どんなに意識しても、人間の思考は散逸的で
なおかつ極端なまでに偏りがちとなる。

双方に必要なのは、それらを写す道具であろう。
鏡を見れば自らの眼球を見ることができる。
ではここでいう思考を写す鏡とはどんなものだろうか?

一般に言う論理的な思考?
論理的に考えることの重要性は述べるまでもないように思えるが、
「一見筋が通っていて、反論できない」のであれば「正論」となってしまう危険性をはらむ。

ここらへんはちょっとやそっとの意識や注意でどうにかなるものではない。

ちょっとした笑い話を引用する。


 本日とうとうパソコンのマザーボードを買い換えて付け替えました。

選んだのはギガバイト製のX58A-UD5です。
中古でやすかったしね。

どうせ冬には新しい機種が出そうなので
それまでのつなぎといったところ。

実際組んでみてわかったこと。

★USB3.0対応
★SATA3対応
★USB2.0が2ポートと前面しかないww
★CPUの温度が平均50度

もともと前のやつはメモリスロットが壊れてたので
ガジェットとかでいろいろとエラーが出ていました。
そいつがなくなれば良いんだけどねぇ。

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photo by 七ツ森  /  material by 素材のかけら
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北海道生まれ。
北海道にロボットフィールドを作ろうと日々奮闘中。
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