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~自発的総合教育のツールを考える~
 私用で3連休を本州で過ごしました。
ブログを更新する予定でしたが、
2年前のガラパゴス携帯では満足にできません。
ログインすらできないとか(笑)
はやいところスマートフォンがほしいところです。
レグザとかエクスペリアプレイとか、個人的に注目。

さて、今回の御題は「拘束こそ自由」という一見矛盾したものです。
過去に書いた記事ともつながってきます。

たとえば、私のようなネットやPC、およびそれに類するものにどっぷり漬かった人間を、
ヨーロッパの田舎へ引越しさせたとしましょう。
果たしてそれはネットからの開放でしょうか。
それとも情報からの隔離でしょうか。


見方を変えれば、どちらとも捉えられる、
というのはこの際ナシにしましょう。

そもそも「誰か」に対して「情報を与える」ということは、
どういうことなのでしょうか?

情報に限らず、誰かに何かを与える行為は
ニュートラルな意味での「拘束」に当たります。
自分の子供に名前をつけると、それ以外の名前は基本名乗れません。
もちろん芸名なり改名なり手段はありますが。
言い換えれば「船のいかり」に非常によく似ていると言えるでしょう。
いかりがなければ、船は波にさらわれてどこかへ流れていってしまう。
いかりを下ろすという行為は「私はそこに立ち止まりたいのだ」という意思表示とも言えるわけです。

もう一つ例を。
某アニメからの引用ではありますが。

あなたが宇宙空間に漂っているとしましょう。
自由にしてください。
といわれても、実際手も足も出ないはず。
思わず叫ぶでしょう。
「誰か俺を地面に拘束してくれ!」と。
そうすればあなたは地面の上を縦横無尽に歩き回れるでしょう。
もしかしたらそれでは物足りないかもしれません。
「誰か俺に居場所をくれ!」と。

ありとあらゆる拘束を受け、
人間は自分を自分たらしめることができると考えられます。

自由すぎるとかえって人間は何もできなくなる。
「拘束」という名の地面を歩くほうが「楽」でしょう。

しかしながら、
そこに「いる」ために、寄りかかる壁を作りすぎてしまうと
自由を渇望したりする。

そういった意味で自由とは非常に究極的な表現と言えるわけです。

「自由にやりたいんだ、俺は」と思っている人は
その自由という単語の意味を今一度噛み砕く必要があるでしょう。
少なくとも「宇宙空間に放り出してくれ」という意味ではないはずですから。
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