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3年前に森政弘先生に頂いた言葉である。

「ロボットを学ぶは我を学ぶなり」

当時は「お~深いな~」なんて思っただけでそれ以上の思考がなかった。
修士2年生となり博士課程進学を控えた今、改めてその言葉をかみ締めている。

実際この言葉の意味は何なのであろうか?
なぜロボットを学ぶことが自分を学ぶことになるのであろうか?

一般に言われることとして、
ロボットを学ぶということは人間を学ぶことにつながっているということである。
元々は産業用として作業効率化のために導入されたロボットたちであるが、
そこには「人間を楽させてくれるロボット」というものが根底にある。
24時間ぶっ続けで、なおかつ正確な作業をしてくれるロボットたち。

やがて時代は進みロボットそのものの進化およびロボット技術(もしくは副産物)の転用が普及し始める。
特に日本のロボットはヒューマノイドやアニマロイドなど生物的な外見を持つロボットの研究がなされる。
そのテーマはさまざまではあるが、人間という生物の歩行が省エネであることに着目したものや、
不整地での走破性を求め多脚型ロボットの開発がなされたりと、
「人間の役に立つ」ことを前提として「生物をモデルに観察する」ことの重要さも浮かび上がってきたわけだ。
人間の柔軟な動きや思考をロボットとして再現することができたならば、
それは技術的に大きな躍進と言えるだろう。

では改めて、
なぜ「ロボットを学ぶは人間を学ぶなり」ではなくて
「ロボットを学ぶは我をまなぶなり」なのであろうか?

今でも明確な答えは得られてはいないが、
これまで考えてきた見解を述べておく。

この言葉は「子育て」にかなり近い思考を含んでいる気がする。
なぜなら「子が育つ」と同時に「親も育つ」からである。
親が育つというのは単純に経験を積むということに限らない。
子の幸せを願い、子が関わる人々の幸せを願い、どのように育てていくか。
そして、どのように子とともに歩んでいくのか。
そこでの親の覚悟決心が生半可なものでは務まらないということも確かにあるが、
そこに見える子と自分の幸せな世界。不安を振り切るだけの夢・ビジョン。
そこまであるなら、そこまであるのならば、初めてスタートラインに立てるのだろう。

自分がどんなロボットを作りたいのか。
ロボットたちが世界でどんな活躍をするのか。
単調作業的なものではなく、創造的でワクワクするもの。
それを生み出すために背負うであろう責任・義務・スランプ。
それを超えるワクワクとビジョンと覚悟。

俺は何を作るんだ?どうして作るんだ?どう作るんだ?

ロボットを学ぶは我を学ぶなり。

今ならわかる気がする。
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単純に
こないだ、某心理学の先生と話す機会があり
LEGO MINDSTORMで鬼ごっこの行動学を研究しているとの事。非常に面白い話を聞けましたわ。

結局、ONOFFに最終変換される事とかだって、人間の脳神経上での処理となんら変わらないわけで、ロボットの研究はとても根源的な人間学だと思います。
norisan 2009/04/15(Wed)  22:17 編集
無題
>のりさん

コンピュータでの01ってのも
脳神経でのONOFFを再現してるんですね。
それでも「ソフト」な思考ができる人間はすごい!
ロボットが人間っぽくなるのは
まだまだ時間がかかりそうですね。
でんでん 2009/04/17(Fri)  13:40 編集
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北海道生まれ。
北海道にロボットフィールドを作ろうと日々奮闘中。
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