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高度な思考を持つ生物は幼少期によく「遊ぶ」ことが確認されているが、
これは遊ぶという行為に非常に重要な要素が含まれていることを示している。

元々生物が遊ぶのは、その遊びの中から様々な「人間社会」を学ぶことにある。
擬似的な家庭環境の構築(ままごと)であったり、スポーツによるチームワークであったり。
家族以外のヒトとふれあい、学び、笑い、その中から幼少の人間たちは多くを吸収する。

多くの「遊ぶ」生物は成体になるとほとんど遊ぶことをやめるという。
おそらくそれ以上学ぶことが必要ではなく、むしろ実践がメインになるからであろう。
それとは対照的に人間は大人になっても質こそ異なれど良く遊ぶ生き物である。
人間は20歳までに学んだことだけで生きていけるような単純な社会には存在していない。
むしろ社会に出てからが学びの勝負どころということに関して異論はあるまい。

ここで本来の遊びの概念に戻りたい。
元々「遊ぶ」という行為は人間が生きるために体にプログラムされたものである。
単なる時間つぶしとはまったく異なるわけであるが、
いつからか、「学び」と「遊び」は人間文化の中で分離してしまったように思う。

楽しみながら学んだことは忘れないというが、
元々は楽しんで「生きること」を学ぶ行為であるから
生命とはやはりうまく出来ているものであるとつくづく感心する。

これを元に今一度自分の行動を見直すのも非常に面白いであろう。
既に自分の中で「楽しさ」とはかけ離れてしまった「作業・タスク」の数々。
最初は楽しめたのに、いつの間にか飽きてしまったそれら。

今一度、小さな子供たちがどのように遊んでいるかを観察するべきだ。

読者諸君、あなたが仮に道端で大きなカタツムリ(電電虫?)を見つけたらどうするだろう?
大半の人々がスルーし、3分後にはカタツムリを見たことさえ忘れているだろう。

小さな子供であればどのように反応するだろう?
大声で親を呼びつけ、接触しそうなほど顔を近づけ、
カタツムリの突き出た目をイジり、そっと殻を持ち上げ撫で回すことだろう。
本当に幼い子であれば口にいれて、その触感を確かめるだろう。

彼らは全身で、全力で、全感覚器官でカタツムリに興味を示す。
それこそが「遊び」であり「学び」である。
自分の中で「遊び」を支配することの重要さがわかってもらえたろうか?
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