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快楽を好む、という言葉は一見二重に見えるが、そうではない。

「快楽」というとあまり良いイメージはないが
ここでは単純に「頭の中が気持ちよくなる現象」とする。
それ以上でもそれ以下でもない。

それ以上でもそれ以下でもない、ということは
「快楽」という単語を「一切のイメージを捨てて捉える」ということだ。

人間は頭の中が気持ちよくなるように生きる性質がある。
それが生きる、生き残るということなのかもしれない。

それが堕落した人間であれ、ストイックな人間であれ、根本は同じだと考える。

俗に言う堕落した人間であれば無計画なギャンブルに身を投じ、酒を浴び、
定職にも就かず、ひたすら即物的な快感のみを求めるといったイメージがある。

反対に修行僧のように自分をひたすら戒め、勉学に励み、耐え耐え耐え抜くという人間も存在する。

だがしかし、その行動を選んでいると言うことはそれが自分にとって最も「気持ちいい」のだろう。

ギャンブルもお酒も楽しいだろう。
みっちりと修行・トレーニングするのも楽しいだろう。

だがそこに大きな差は存在する。
その差をイメージではなく具体的に語れる人がどれだけいるだろうか。

電電が思うに、その快楽の差は
「人間の中にあるか外にあるか」ではないだろうか。

ギャンブル、酒といったものにおぼれる場合、その快楽の対象は人間の「外部」に存在する。
がしかし、修行やトレーニングは自分と向き合うことであり、「高まった自分を好む」ことに相違ない。

どちらがいいかは本人が選ぶことであって、どちらがいいかは不明だ。
もちろん後者を選ぶ人が多いのは言うまでもないが、前者に陥る人が多いのも事実だ。

自分が求めているもの、快楽が自分の外にあるのか中にあるのか。
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