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~自発的総合教育のツールを考える~
 

議論のネタにしたら白熱しそうなタイトルである。

毎度のことながら、
複数のパラダイムで解釈しつつ
「平べったい答え」を出さぬように気を付けつつ話を進める。

最近書籍にて「自由至上主義」と「功利主義」に関する内容を読み、
非常に興味深く感じたところである。

「役立たず」

下手をすれば差別用語にもなりうるデリケートな単語だ。
大辞林で調べると「役に立たないさま、そのようなもの、人物を指す」。
ほとんど解説になっていない気がするのは私だけか(笑)
かといってこれ以上の文章を加えるのは至難の業である。
何故なら「役に立つ」ことを定義せねばならず、
これは「言葉の意味」を超えた部分だからだ。

さて、「役に立つ」ことを否定するのが「役立たず」なのであれば
「役に立つ」とはどのようなことを指すのかを考えればよい、としよう。

平たく言えば、人の要求、必要だと思っていることを
何らかの方法で満たせる人、モノを指している。
それが一般に言う悪だろうが善だろうが、どちらでもよい。
ニーズを満たせば「役に立った」といえる。

と、ここで解釈が中断される。
なぜならば「役に立つ」をニュートラルな視点から定義してしまったからだ。
これだと大辞林とさして差がない。

どこで間違ったかというと
「役に立つ」と「役立たず」は対義語ではない
ということである。

言葉そのもののみを考えれば対義語たり得るが、
対義語として成り立たせるためには「境界線」が必要になる。
ここでの境界線は「ニーズにこたえる」ことなのであろうか?

ちょっと例を出して考えてみよう。
会社で仕事をして、今日は対して成果を出せなかった。
上司がポンっと肩をたたく。
「今日の君は役立たずだったね。でもこれにめげず明日も頑張ろう!」

うーん・・・
ニーズに応えられなかったのは確かだが、
「役立たず」という言葉を浴びせられたほうがいい気がしない。

これはつまり、対義語としての境界線が「ニーズに応える」というだけでは
不十分である可能性を示唆していると言えるのでは?

言葉の持つイメージというのは重要であるが、
ここではそのイメージをもう少し深堀してみたい。

少々過剰な表現かもしれないが、
その境界線は「ニーズに応える」だけでは不十分で、
「称賛に値するかどうか」といったイメージが付加されるように思える。

「役立たず」と言われると「ニーズに応えられない」だけではなく
「とてもじゃないが褒められたものではない」という負の感情が背後にある。
これには「役に立たなければ不要である」という考えが見え隠れするわけだ。

対象がモノであれば、それほど酷い負の感情が発生することはないだろう。
捨てるなり中古ショップに売り払うなり、様々な手段がとられる。

しかしながら、対象が人間ともなれば話は一気に複雑になる。
ここでは話を多少シンプルにするため、
「どんなことが役に立っていると言えるのか」は議論しない。
少なくとも誰かが「役に立つ」という価値観を持っていることは前提として疑いようがないからだ。

とするならば、
こうまで複雑化した原因は何か?
それは「役に立つことが正義である」という価値観が、
ほかの価値観と衝突することにある。

自らの使命感として「役に立ちたい」と思い、行動することは問題ない。
それが普遍的な正義としての価値があると信じ、
他人にまで影響を及ぼしたときが問題となるわけだ。

「正義の押し付けになるから問題なのだ」という答えは、
私としては非常に「平べったい解答」であると考える。
確かにこの答えは正解であろうし、重要な観点でもある。
ここでは役に立てなくても、あそこでは役に立てるかもしれない、と。
どれくらい貢献するかは個人の実力や境遇に見合ったものを選べばいい、と。

たしかにたしかに。

が、これだけでは思考として十分ではないだろう。
「役に立つことが正義」ということを前面に主張するということは、
今、もしくは「将来」の自分が役に立っているという一種の確信を持つこととなる。
ここら辺の一種の正義感や使命感およびそれらの確信は「好み」に近い印象を受ける。

言葉の意味がイコールに近い、というのではない。
人間の心理状況として非常に近しいものがあるという意味である。

「この小説、めっちゃ面白いから読んでみて!」
と、他人に自分の好みを押し付ける人。
「ね、こないだ貸した小説、どこまで読んだ?おもしろい?印象に残った登場人物は?」
確認しないと気が済まない。

再度断るが、あくまで心理状況として似ているという話だ。

「社会人として、これくらい貢献して当然だよね!」
と、個人で自己評価を上げていくのであれば好ましいと言えよう。
しかしながら、これは結局「自分を基準」として「自分以下を否定」する思想に発展するのがマズいわけだ。

結局「役立たずは不要」と述べるようであれば、
基準さえ変えてしまえば当の本人すら「不要」となる。

「そうは言っても、程度ってものがあるでしょ?微力なんて無いに等しいよ。」
基準さえ変えれば、かく言う本人すら「微力」である。

以上のべたように、
「役立たずは不要」という概念は
人間の感情というものを考慮する以前に
単一視点的な独善思考に陥りやすい性質を持っているという点を持つと考えられるわけだ。

「こいつ、役に立たねぇな」と思っているとき、
だれかが当人のことを同様に思っている。
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無題
お礼が遅くなってすみません><;URL、ありがとうございました!すごくうれしいです!

自分に厳しくすればするほど他人にも厳しくなり、他人に易しくすればするほど自分にも易しくなってしまう。
自分に厳しくしようと思うと他人への評価も自然と落ちていってしまう事がとても悩ましい…。"ひとそれぞれなんだ"と、自分の心を否定しようとすると葛藤が生まれてしまう…。どうしたものか…orz
Cahier 2011/03/23(Wed)  13:43 編集
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