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LaborSmall.jpg 










今年も残すところあと少しとなりましたねぇ。
2010年は私にとってもアーキテクトにとっても革新の年となりました。

まずは達成したことを振り返り、来年の目標へと昇華していきましょう。

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「ひらめく」ことと「雨が降る」ことの関連性について言及したい。
なんという物好きな男か俺は・・・

 

雨乞いで雨を降らせるのは既に迷信というのが常識になってしまったが、
雨乞いで雨を降らせる方法がたった一つだけある。

借りぐらしのアリエッティ サウンドトラック


さっそく見てきました、
「借りぐらしのアリエッティ」
ネタばれは極力さけます。

ジブリ作品に関する考察をいくつかしてきましたが、
実を言うと映画館でジブリ作品を見るのはこれが二度目です(笑)

この作品も紅の豚同様、ファンターゲットが絞られてきそうです。
電電自身の評価はとても高いです。
過去のジブリ作品とシチュエーションが「わざと」被るところが多く、
それを発見するたびにニヤニヤしてしまいます。

「借りぐらし」というタイトルはただの装飾かと思いきや、
とてもとても重要な意味を持ち、
今回の宮崎哲学のコンセプト軸となっていることに気付きました。

映画館でご覧になる方、この「借り暮らし」の意味を深く深く洞察してみてください。
 

紅の豚 サボイアS.21F 後期型 (1/72スケール塗装済半完成キット)


ジブリの名作と言われて、トップランキングに紅の豚を出す人はなかなかいない。
ただ、名言ランキングトップは紅の豚から
「飛ばねぇ豚は、ただの豚だ」が入っているという奇妙な事実(笑)

宮崎駿氏はスチームパンク的な機械を作品に盛り込むのが好きだという。
ナウシカでは大量の戦闘艦、ガンシップ、メーヴェ。
ラピュタでのロボット兵やゴリアテ、タイガーモス号。
ハウルでのお城。
そして、紅の豚での戦闘艇達。

これらの作品の中で、機械・装置を愛でるキャラが主要人物となったのは「紅の豚」なのである。
そういった意味で、ターゲットがマニアック化する傾向があるのではと感じる。
今回はそのキャラクターである「フィオ」嬢に焦点を当てて、クラフトマンシップを解き明かす糸口としたい。

さて、フィオが機械を愛でる、もしくは愛でていると感じられるシーンや台詞を思い出してみよう。
「新しい翼断面を使いたいの。」
「この計算書すごいわ。この翼を作った人、本当によく木の性質を知ってる。」
「やらせてもらえるのね?ありがとう!一生懸命やるわ!」

ここからフィオのどのような女性像が浮かび上がるだろうか?
新しい翼断面を使うことでの挑戦意欲の持ち主。
計算書の完成度の高さから先人に対する尊敬の念を持てる。
任せてもらったことに対して、それを感謝できる。

というのは、台詞からわかる表面的な内容である。
さらに深掘りしてみよう。
飛行艇の翼は飛行性能を左右する重大要素の一つでもあり、
それと同時にパイロットが命を任せる部分でもある。
若さも相まってか、そこに自分の提案を持ちだし、さらに高速化を図ろうとする。
「前の図面もあるし」との台詞が直前にあるが、同じものから改良版を出している、
ということではないことに注意したい。
改善改良であれば、「この翼断面をこうこうこうしたいの」といった、基準を持たせた台詞となるはずである。
つまり、既にこの時点でフィオの設計士としての自信と挑戦意欲が伺えるのだ。
また、計算書から先人の凄さをほめたたえているが、よくよく聞いてみると
「前の設計士は木の性質をよく知っている」というのは、それ以上にフィオが知っていることを示唆している。
もちろん、計算書の中の情報から学ぶことが多いためにこのような発言となった可能性はある。
それだけであるならば、この計算内容が「過激なセッティング」であるかどうかはフィオに判断できまい。
木の耐久性やしなり具合、その他もろもろの特性を最大限活かした構造であると判断できたという、
フィオのその能力ゆえに可能であったと考えられるのだ。
そういった意味で、フィオの発言にはいたるところに「自信」が満ち溢れているわけだが、
一切の「上から目線」や「高慢」な部分が感じられないところは
やはり宮崎駿の表現力および表現の監督力なのであろう。
最後に「感謝の念」という平たい表現をした点であるが、これは
感謝を抱くことそのものはフィオを語る材料として不足である。
この「ありがとう!一生懸命やるわ!」という台詞が持つ意味は複数存在し、
その一つが「余計な謙遜をしない」という点なのだ。
相手の命を預かる飛行艇を設計するうえで、謙遜など要求されるはずもない。
が、17歳の女性としてその域に達するための「自信」「実質的能力」「挑戦意欲」を持ち合わせていること、
その総合的な設計士、クラフトマンとしての人物像そのものが素晴らしいのである。

フィオから垣間見えるクラフトマンシップはまだまだ言い足りないのであるが、
宮崎駿氏はその哲学の一つ一つを丁寧にイラストへと起こしている。

ただ眺めていてもこの作品の良さはなかなか見えてこない。
「観る」こと、そして反芻することで、この作品は大人が好むセピア色をにじませるのである。

http://drawr.net/show.php?id=1478887

http://hayabusa.jaxa.jp/message/message_042.html

やっぱり技術者はロマンチストじゃないとね。
夢を見ることを忘れたら、ただの作業ですから。

おかえり、はやぶさ。
君のことをずっとずっと待っていたよ。

集中力は「水」のような存在である。

ここぞというときにまとまった力がほしい。
それが集中力。
それをいかに保ち、効果的に使うかがカギとなる。

では集中力がある人、ない人、何が違うのか。

集中力のある人は、水をコップに入れておく。
集中力のない人は、水を霧吹きで床にまいておく。


霧吹きによって水は豪快な水霧になり、天気が良ければ小さな虹を作ることすらできる。
加え、床を濡らしたその面積の広さに満足感すら覚える。

「豪快に霧を作って虹まで出来た!しかもこんなに多くの床を濡らしてやったぞ!
それに比べてコップに入れた水の地味なことといったら!
濡らしているのはせいぜいコップの内側だけじゃないか!」


さて10分後。

霧吹きでばら撒かれた水は、きれいさっぱり、あとかたもなく蒸発してしまった。


・・・


一方コップの水はほとんど減りはしなかったのである。
そして今もその水はコップの内側を「濡らし続けて」いるのだ。
からくりペーパークラフト 母ツバメの悩み



どうも、電電です。

ここしばらくブログをお休みしておりました。

なんかね、もう何を書くべきかよくわからんのですよ(笑)
本来の目的から大幅にずれてきたような。

ただ、当初は意図的に方向転換をしていたというのも事実です。

電電は「口だけ達者」なのが嫌いです。
ゆえに、当初のブログ記事において「口だけ」になるのが嫌だったわけですよ。

知行合一。
知ることと行うことは同じである。
行わなければ知らないのと一緒。


サークルにおいては口も出しますが手も出します(笑)
口でわからせるより、実際に作って見せる方がわかりやすいし、説得力も出るしね。
知識をひけらかすのはGoogleに限らず、ネット社会ではナンセンスです。

んで、
現在電電に関する「情報」は色々なところで管理されております。

*フランクリン手帳(スケジュール、人生管理)
*カメラNiconD40(思い出の記録、詳細なデータ保持)
*ロディアのメモ帳(とっさの思いつきを即座にメモするため)
*ブクログ(これまでの読書記録およびレビュー)
*パソコン(各種データやマインドマップなどのツール)

広い意味での勉学において、
「インプットしたものはアウトプットすることを意識する。
逆に、アウトプットしたことでインプットも活性化する。」
というのは良く言われていることです。

これは「知識」をインプットして、「行動」としてアウトプットするってことですね。
アウトプットは知識がどれくらい体系的に構築されたかのバロメータにもなります。
何かを学び、誰かにわかりやすく教えることができれば、「良いインプット」であったと言えるわけです。

しかしながら、電電はこの「インプットとアウトプット」という概念だけでは不足であると考えるわけです。
何が足りないか、それは「クリエイト」です!

情報をインプットしてアウトプットするだけであればパソコンでもできるわけですね。
インプットした情報を自らの中で消化し、再構築し、行動の原動力、ベースとする。
この一連の流れは「創造(クリエイト)」であると言えます。

インプット→クリエイト→アウトプット→インプット→クリエイト→アウトプット→・・・

というわけですね。

さて、長くなりましたが
これらの一連の流れが電電の情報に関してどのようにかかわってくるのか、というと
要するに「ブログはどのように利用すればこのサイクルを活性化できるのか?」
悩んでいたから、ということなのです。

ただ単に思いつくまま、だらだらとブログを書き続けることは可能です。
が、一貫性を重んじる電電はあまりそれが好きではなかったのですよ。

アウトプットとしてのブログは重要。
でも口だけになるのは嫌。

さてさて、どうしたものか(笑)

長々と読ませておいて今回の結論はありません(笑)
申し訳ない!

次回に続く内容として、まとめておきます。

*情報管理の一連の流れの中で、ブログをどのように使用して一貫性を確立するか
*読む立場になった際、どのようなメリットを提供するか
*ブログというもののメリットとデメリットはどのようなものか
*そもそもブログが手段としてふさわしいのか

うーん、こりゃぁ難しいぞ!

読書に限った話ではない。

要は「続けるにはどうしたらいいか」といった話である。

続かない人には似たような傾向がある。
今までに何をどれくらい読んだかを把握していない、ということだ。

電電が最近やっているのは

「ブクログ」
booklog.jp/users/dendenkeroro
を使って読書整理である。

たとえ話をするなら、
「ドラクエをいつも最初からプレイする」
のに似ている。
いつもレベル1に毛が生えた程度で、そのうち飽きる。

飽きないで遊ぶには「セーブ」と「ロード」が必要になるわけだ。

もちろん今までに1000冊読んだからどうだ、というのはある。
が、この数字は「続けたことの賜物」である。
続けるという段階に達するには「数字を重要視する」ことでそれが実現可能だ。

ドラゴン桜の著者、三田氏。すごい実行力の著者、石田氏。
人間は数字が大好きで、それを味方につけるという点でその意見の一致をみる。

ある程度カウントしてしまえば、その後はカウントしなくてもよい境地に達する。

「お前は今まで食べた食パンの枚数を覚えているのか?」

とまぁこんな感じになるわけだ。
「例えばさ、自分の5倍ぐらいのサイズ…8m前後かな、
そんな生き物が手をこっちに突き出して、理解不能な言葉を呟きながら近寄ってきたらどうする?」


「そりゃ逃げるね」

「だろ?だから野良猫に逃げられるのは当たり前なんだよ」


「なるほど」

「でもさ、中には寄ってくる野良猫もいるじゃん」

「そりゃアレだ、ホラー映画で開始10分で死んじゃう、無駄に好奇心旺盛なお調子者キャラみたいなヤツだ」

「なるほどー」


妙に納得した。

最近朝型になりつつある電電です。

とあるニュースを見ていて気付いたこと。
科学と技術は何が違うのか?
科学者と技術者は何が違うのか?

イメージとしては
科学者は試験管を振って実験をしていそう・・・
技術者はドライバーと金槌で何かを作っていそう・・・

ん?科学者は勉強するのが仕事?
技術者は何かを作るのが仕事?

その明確な仕事は何なのか、
下着会社ワコールの人間科学研究所が非常にわかりやすい表現をしています。

「科学」とは「正しい知識」を得ること。
「技術」とは「正しい知識」をいかに社会に役立てるか。


ほ~
科学と技術はこんな風に結びつくわけなんですね。

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北海道生まれ。
北海道にロボットフィールドを作ろうと日々奮闘中。
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