最新鋭が最高の性能を誇るわけではない。
最新、と言われて何を思い浮かべるだろうか?
パソコン?インターネット?携帯?車?情報?
新しく生まれてきたというだけで人は「期待の押し売り」をしがちである。
ネットの海を徘徊しているとモバイルパソコンを買ってボロクソなレビューを書く輩がいたりする。
最近はやりの持ち運びをメインとしたモバイルパソコンの多くは、
小型かつバッテリーの持ち、および最低限のオフィス用途を目的とされている。
デスクトップ並みの要求を勝手にして「遅くて使えねぇ」なんてのは愚の骨頂なのだ。
何を目的として生まれてきたかが重要なのであって、
それを知らずして自らのニーズとマッチしなかったことを恨んでもナンセンスである。
最新、と言われて何を思い浮かべるだろうか?
パソコン?インターネット?携帯?車?情報?
新しく生まれてきたというだけで人は「期待の押し売り」をしがちである。
ネットの海を徘徊しているとモバイルパソコンを買ってボロクソなレビューを書く輩がいたりする。
最近はやりの持ち運びをメインとしたモバイルパソコンの多くは、
小型かつバッテリーの持ち、および最低限のオフィス用途を目的とされている。
デスクトップ並みの要求を勝手にして「遅くて使えねぇ」なんてのは愚の骨頂なのだ。
何を目的として生まれてきたかが重要なのであって、
それを知らずして自らのニーズとマッチしなかったことを恨んでもナンセンスである。
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Photo by Kossy@FINEDAYS
「すみません」とは「申し訳ない気持ちで、心が澄みません、晴れません」というのが語源だそうだ。
言ってみれば「自責の念」を表現しているわけである。
がしかし、いつから「すみません」は自己容認としての役割も担うようになったのか?
「バカですみません」
「天然ですみません」
「空気読めなくてすみません」
「ついていけなくてすみません」
「料理できなくてすみません」
「鈍感ですみません」
「自信なくてすみません」
「いつまでも子供ですみません」
「掃除できなくてすみません」
「字が汚くてすみません」
いつのまにか
「わたしはそういう人間なので、そこんとこ容認した上で勘弁してください」
というニュアンスが含まれてきた。
自責の念の解決を相手にゆだねた形となる。
要するにこの用法は「自」でも「責」でもなくなっているわけだ。
馬鹿でもアホでも鈍感でも別にかまわない。
そこらへんは本件の本質とは無関係だ。
注目すべきは、「謝るふりをして相手の容認に甘んじる姿勢、それを求める姿勢」そのものである。
「すみません」は便利な言葉だが、使い方には気をつけたい。
人間は歴史的観点からみても
「理解できないことを蔑む」傾向にある。
これはゆゆしき事態だ。
歴史的な例をあげてみよう。
*電気?雷でおなかが一杯になるんですか?
*個人用パソコンだって?お金がかかりすぎて現実的じゃないだろうに。
*モーツァルトさん、あなたの音楽は難しすぎるんですよ。一円にもなりゃしない。
*パソコン?どうせゲームしかしないんでしょ?
*速読術?読んだ気になるだけだろ。到底内容を理解しているとは思えないね。
*ロボット?高価な玩具が市場に受け入れられるわけあるまい。
まだまだある。
どれもこれも結果として絶大な効果をあげていることは言うまでもない。
ただしこれは「知りもしないで批難をするな」ということではない。
その時点で自分の理解を超えているということを自覚するかどうかが重要なのだ。
なぜならば「知った上で批難するなら問題ない」ということになってしまうからである。
例えば何らかの映画を観た際に
「面白くなかった。これは駄作だ」といった発言をよく目にする。
具体的には、
*話の流れが読めなかった
*展開についていけなかった
*自分の好みじゃなかった
*オチがなかった
*作者の言いたいことがわからなかった
等等。
要するに「自分に不快感を与えたものを許さない」という至極本能的な反応といえる。
技術は役に立てば価値が証明される。
しかしながら音楽にしろ映画にしろ何らかの作品が名作であるかどうかは
結局人々の感覚で評価せざるを得ない。
スズメは鷹の考えを理解できない。では鷹はアホなのか?
三角定規で人間の身長は測れない。ではネズミサイズが生物のベストサイズなのか?
冷蔵庫に車は入らない。そんな車は役立たずなのか?
自らの「規格外」を「規格内」にするための一手が必要であることは言うまでもない。
その一手が簡単に打てないことは容易に想像できる以上、
軽々しく「駄作」等と発言するのは自らの小ささを公言することに他ならず、
愚の骨頂といえよう。
「理解できないことを蔑む」傾向にある。
これはゆゆしき事態だ。
歴史的な例をあげてみよう。
*電気?雷でおなかが一杯になるんですか?
*個人用パソコンだって?お金がかかりすぎて現実的じゃないだろうに。
*モーツァルトさん、あなたの音楽は難しすぎるんですよ。一円にもなりゃしない。
*パソコン?どうせゲームしかしないんでしょ?
*速読術?読んだ気になるだけだろ。到底内容を理解しているとは思えないね。
*ロボット?高価な玩具が市場に受け入れられるわけあるまい。
まだまだある。
どれもこれも結果として絶大な効果をあげていることは言うまでもない。
ただしこれは「知りもしないで批難をするな」ということではない。
その時点で自分の理解を超えているということを自覚するかどうかが重要なのだ。
なぜならば「知った上で批難するなら問題ない」ということになってしまうからである。
例えば何らかの映画を観た際に
「面白くなかった。これは駄作だ」といった発言をよく目にする。
具体的には、
*話の流れが読めなかった
*展開についていけなかった
*自分の好みじゃなかった
*オチがなかった
*作者の言いたいことがわからなかった
等等。
要するに「自分に不快感を与えたものを許さない」という至極本能的な反応といえる。
技術は役に立てば価値が証明される。
しかしながら音楽にしろ映画にしろ何らかの作品が名作であるかどうかは
結局人々の感覚で評価せざるを得ない。
スズメは鷹の考えを理解できない。では鷹はアホなのか?
三角定規で人間の身長は測れない。ではネズミサイズが生物のベストサイズなのか?
冷蔵庫に車は入らない。そんな車は役立たずなのか?
自らの「規格外」を「規格内」にするための一手が必要であることは言うまでもない。
その一手が簡単に打てないことは容易に想像できる以上、
軽々しく「駄作」等と発言するのは自らの小ささを公言することに他ならず、
愚の骨頂といえよう。
ロボット製作で頭を悩ませる日々。
なんでもありだとかえって頭は働かない。
ある程度制約があったほうがかえって燃える。
重さは何キロまで。バッテリーは何時間以上。
移動方法は車輪。サイズはこれくらいまで。
いろいろ考えていろいろはみ出して。
制約内に収めるために試行錯誤を繰り返す。
そうやって自画自賛できるアイディアが生まれたりする(笑)
生物の美しさも制約の中で生まれる。
生きるか死ぬかの状況で究極にスリムアップ、ブラッシュアップされる。
言ってみれば現状制約における最適なフォルムをしているわけだ。
環境が変わるとは制約が変わると言い換えることも可能。
その制約に応じて生物は少しずつ新たなフォルムを構築していく。
いろいろな選択肢がある中で最適解を導き出すのは容易ではないが、
自由すぎる選択肢とはある意味自滅的なのかもしれない。
なんでもありだとかえって頭は働かない。
ある程度制約があったほうがかえって燃える。
重さは何キロまで。バッテリーは何時間以上。
移動方法は車輪。サイズはこれくらいまで。
いろいろ考えていろいろはみ出して。
制約内に収めるために試行錯誤を繰り返す。
そうやって自画自賛できるアイディアが生まれたりする(笑)
生物の美しさも制約の中で生まれる。
生きるか死ぬかの状況で究極にスリムアップ、ブラッシュアップされる。
言ってみれば現状制約における最適なフォルムをしているわけだ。
環境が変わるとは制約が変わると言い換えることも可能。
その制約に応じて生物は少しずつ新たなフォルムを構築していく。
いろいろな選択肢がある中で最適解を導き出すのは容易ではないが、
自由すぎる選択肢とはある意味自滅的なのかもしれない。
本買った!
「やりたいことをやれ」本田宗一郎
「決断力」羽生善治
「悩む力」姜 尚中
まだ読んでないけどね。
これからグリグリ読みます。
読書は人生において重要です。
読まなくても生きることは出来ますが、活きることは出来ません。
生命活動をするだけが生きることでは無いですから。
本を読むメリットはたくさんあります。
*時空を超えることができる
*先人から学ぶことができる
*語彙・表現力が増える
*どんな有名人でも故人でも1000円くらいで会える
*どんな意見も押し付けられることがない
*知的な人と知的な会話が弾む
*自分の人生に前向きになれる
ちょっと思いつくだけでもこれだけある。
ただし、本とは知識を身につけるためだけのものではありません。
それであれば百科事典で十分。
人間は五感から世界を感じる。
そして感じ取った情報から頭の中で世界を作る。
頭の中の世界で嘆いたり笑ったり怒ったりする。
では五感をフル活動させれば自分の世界は広がるのか?
そんなに簡単じゃない。
五感から得たものを自分で消化できなければ自分の世界にはならない。
すぐに風化して忘れ去られてしまう。
五感からの情報を自分の世界に変えるには、ひと工夫もふた工夫も必要なのだ。
それを可能にするツールの一つが読書なのである。
「やりたいことをやれ」本田宗一郎
「決断力」羽生善治
「悩む力」姜 尚中
まだ読んでないけどね。
これからグリグリ読みます。
読書は人生において重要です。
読まなくても生きることは出来ますが、活きることは出来ません。
生命活動をするだけが生きることでは無いですから。
本を読むメリットはたくさんあります。
*時空を超えることができる
*先人から学ぶことができる
*語彙・表現力が増える
*どんな有名人でも故人でも1000円くらいで会える
*どんな意見も押し付けられることがない
*知的な人と知的な会話が弾む
*自分の人生に前向きになれる
ちょっと思いつくだけでもこれだけある。
ただし、本とは知識を身につけるためだけのものではありません。
それであれば百科事典で十分。
人間は五感から世界を感じる。
そして感じ取った情報から頭の中で世界を作る。
頭の中の世界で嘆いたり笑ったり怒ったりする。
では五感をフル活動させれば自分の世界は広がるのか?
そんなに簡単じゃない。
五感から得たものを自分で消化できなければ自分の世界にはならない。
すぐに風化して忘れ去られてしまう。
五感からの情報を自分の世界に変えるには、ひと工夫もふた工夫も必要なのだ。
それを可能にするツールの一つが読書なのである。
巷ではハイチに千羽鶴を送るというニュースが話題だ。
いろいろな意味で興味深い「現象」であると電電自身思っている。
ちょっと分析してみよう。
この現象の参加者は大きく分けて3種類。
1.ハイチの人たちに千羽鶴を送ろうという人々
2.千羽鶴より救援物資だろ、と反論する人々
3.目くじらを立てるような内容ではないし、気持そのものは酌むべきだという人々
千羽鶴を送ることそのものの議論はこの現象内である程度結論が出たようだ。
*現状において千羽鶴を送るのは運輸、現地の状況から判断して難しい(現地活動NGO談)
*タイミングをわきまえた上で、救援物資に軽く添えるくらい
千羽鶴を送ることの是非をここで問うてもあまり意味はない。
重要視されるべきは、ハイチを引き合いにして自らを正当化するロジックの組み方、
およびそれを公言することそのものである。
両方の視点を比較してみよう。
まずはハイチに千羽鶴賛成派(広義および総合的なものとする)
1.ハイチの人々が気の毒で、恵まれた私たちが何かできることはないか?
2.自分たちが差し出せる金額に限度はあるが、「がんばって!」という気持ちを伝えたい
3.何もしないくらいなら、気持だけでも何とか伝えよう
4.大したことは出来ない。でも何もしなければ何も変わらない。
5.何もしないくせに批難ばかりする人はどうかしてる。
もちろん千羽鶴賛成派が以上5つをすべて満たしているわけではない。
全体的傾向としてこれらの特徴が垣間見えるという判断である。
次に千羽鶴反対派。
1.生きるか死ぬかの限界状況で、紙切れを渡される人たちの気持ちを考えろ。
2.鶴を送って気持が伝わるなんてのは、先進国的な平和ボケ思考だ。
3.折り紙を買う金があるくらいなら、それを救援物資に回すべき。
4.現地の反応を想像すれば偽善どころか嫌がらせだ。
全体的にリアリスティックな発言ではあるが、同時に悪意が無いとも言い切れない。
以上二派はパラダイムが違うがゆえにおそらくそのまま議論しても並行線だろう。
千羽鶴賛成派はハートフル重視であるがゆえ、プロトコルミスを起こしたと判断できる。
以前ブログでも書いたが、伝えたいことを伝えるためには伝える手法を間違えてはいけない、ということだ。
対し、反対派はリアリスティック重視であるがゆえ、善悪にかかわらず感情を否定するところで批難を受けた。
人間はどうやら感情を否定されることに敏感なようだ。
本題からそれた。戻そう。
ここでポイントとなるのは、
発言権には対価が伴うのか?ということだ。
いくつかの質問に答えてみてほしい。
1.この議論に対し発言する際、どのような責任を負う気がありますか?
2.発言には責任が伴うとよく言われますが、普段の発言に責任を感じますか?
3.自分の主張を通したいと思う際、その権限を手に入れるために対価として何を払いますか?
4.行動で発言権を得られるならば、どのように行動を定量評価すればいいのでしょう?
5.行動を定量評価できたとして、対価としてふさわしい敷居値はどうやって設定するのでしょう?
ケースバイケースであることは勿論だが、
発言権の対価は払い方もさることながらどれくらい払えばいいかもあやふやなのだ。
ゆえに
「何もしないやつが偉そうに人を非難するな!」
という発言は一見正論だが、その論理基盤は非常に脆いようだ。
募金をしたからと言って発言権が得られるとは到底思えない。
国際協力団体等に所属してないと発言権が無いかと言われれば違うだろう。
税金を納めていれば発言権があるかというとこれも違う。
憲法で保障されているから、というのもベクトルが違う。
なぜ違うか。
それは発言権が「ある・ない」の二択で捉えてしまいがちだからだ。
言い換えれば、
「何もしない人の発言にはそれ相応の重みしかない」ということ。
ここで重要なのは「何かする」ということは人によって比較できないということだ。
大学生が1万円寄付するのと、富豪が1億円寄付することは比較できない。
興味深い逸話がある。
とても貧しいスラムの中でマザーテレサが活動していた時のこと。
あるとき小さな少年が小瓶に入れた砂糖をマザーに寄付したそうだ。
自分の口に入る分を数日我慢して貯めたのだとか。
俺だったらキロ単位でくれてやるよ!と言ってもナンセンスなのは明白である。
自分がしたい、自分に見合った、自分に必要な行動。
それが自由議論における対価なのかもしれない。
皆で国際協力をするわけにはいかない。
皆で田畑を耕すわけにはいかない。
皆でプログラムを書くわけにはいかない。
何億もの人口は皆で生きるため、役割分担するために居るのだ。
いろいろな意味で興味深い「現象」であると電電自身思っている。
ちょっと分析してみよう。
この現象の参加者は大きく分けて3種類。
1.ハイチの人たちに千羽鶴を送ろうという人々
2.千羽鶴より救援物資だろ、と反論する人々
3.目くじらを立てるような内容ではないし、気持そのものは酌むべきだという人々
千羽鶴を送ることそのものの議論はこの現象内である程度結論が出たようだ。
*現状において千羽鶴を送るのは運輸、現地の状況から判断して難しい(現地活動NGO談)
*タイミングをわきまえた上で、救援物資に軽く添えるくらい
千羽鶴を送ることの是非をここで問うてもあまり意味はない。
重要視されるべきは、ハイチを引き合いにして自らを正当化するロジックの組み方、
およびそれを公言することそのものである。
両方の視点を比較してみよう。
まずはハイチに千羽鶴賛成派(広義および総合的なものとする)
1.ハイチの人々が気の毒で、恵まれた私たちが何かできることはないか?
2.自分たちが差し出せる金額に限度はあるが、「がんばって!」という気持ちを伝えたい
3.何もしないくらいなら、気持だけでも何とか伝えよう
4.大したことは出来ない。でも何もしなければ何も変わらない。
5.何もしないくせに批難ばかりする人はどうかしてる。
もちろん千羽鶴賛成派が以上5つをすべて満たしているわけではない。
全体的傾向としてこれらの特徴が垣間見えるという判断である。
次に千羽鶴反対派。
1.生きるか死ぬかの限界状況で、紙切れを渡される人たちの気持ちを考えろ。
2.鶴を送って気持が伝わるなんてのは、先進国的な平和ボケ思考だ。
3.折り紙を買う金があるくらいなら、それを救援物資に回すべき。
4.現地の反応を想像すれば偽善どころか嫌がらせだ。
全体的にリアリスティックな発言ではあるが、同時に悪意が無いとも言い切れない。
以上二派はパラダイムが違うがゆえにおそらくそのまま議論しても並行線だろう。
千羽鶴賛成派はハートフル重視であるがゆえ、プロトコルミスを起こしたと判断できる。
以前ブログでも書いたが、伝えたいことを伝えるためには伝える手法を間違えてはいけない、ということだ。
対し、反対派はリアリスティック重視であるがゆえ、善悪にかかわらず感情を否定するところで批難を受けた。
人間はどうやら感情を否定されることに敏感なようだ。
本題からそれた。戻そう。
ここでポイントとなるのは、
発言権には対価が伴うのか?ということだ。
いくつかの質問に答えてみてほしい。
1.この議論に対し発言する際、どのような責任を負う気がありますか?
2.発言には責任が伴うとよく言われますが、普段の発言に責任を感じますか?
3.自分の主張を通したいと思う際、その権限を手に入れるために対価として何を払いますか?
4.行動で発言権を得られるならば、どのように行動を定量評価すればいいのでしょう?
5.行動を定量評価できたとして、対価としてふさわしい敷居値はどうやって設定するのでしょう?
ケースバイケースであることは勿論だが、
発言権の対価は払い方もさることながらどれくらい払えばいいかもあやふやなのだ。
ゆえに
「何もしないやつが偉そうに人を非難するな!」
という発言は一見正論だが、その論理基盤は非常に脆いようだ。
募金をしたからと言って発言権が得られるとは到底思えない。
国際協力団体等に所属してないと発言権が無いかと言われれば違うだろう。
税金を納めていれば発言権があるかというとこれも違う。
憲法で保障されているから、というのもベクトルが違う。
なぜ違うか。
それは発言権が「ある・ない」の二択で捉えてしまいがちだからだ。
言い換えれば、
「何もしない人の発言にはそれ相応の重みしかない」ということ。
ここで重要なのは「何かする」ということは人によって比較できないということだ。
大学生が1万円寄付するのと、富豪が1億円寄付することは比較できない。
興味深い逸話がある。
とても貧しいスラムの中でマザーテレサが活動していた時のこと。
あるとき小さな少年が小瓶に入れた砂糖をマザーに寄付したそうだ。
自分の口に入る分を数日我慢して貯めたのだとか。
俺だったらキロ単位でくれてやるよ!と言ってもナンセンスなのは明白である。
自分がしたい、自分に見合った、自分に必要な行動。
それが自由議論における対価なのかもしれない。
皆で国際協力をするわけにはいかない。
皆で田畑を耕すわけにはいかない。
皆でプログラムを書くわけにはいかない。
何億もの人口は皆で生きるため、役割分担するために居るのだ。
現代人の知識レベルは下降気味?
なかなか興味深い記事だ。
この記事によると人間は「自分が読みたい記事」ばかり読むらしい。
読みたいものを読むのは当り前では?というのとはちょっと違う。
結果としてゴシップネタが増えるといった傾向があるとのこと。
ある意味教養的ではなくエンタメネタを好むようになってきたということなのだろうか。
人間の特性からいえば、面白そうなことに興味を示すのは至極当然。
情報化の波によって面白そうなことが表面化すると同時に、
それをネット上で共有することが簡単にできるようになったのも事実。
ゆえに国や自治体に関する重要かつ退屈なニュースには見向きもしないのだろう。
結果利益的な視線で政党等を軽々しく非難するという結果に至ることも。
面白くもないし義務でもないことを人間にやらせるのは難しい。
ここで重要だと思うのは「価値観の成長」である。
もう少し言葉を変えるなら「好奇心のブラッシュアップ」となる。
「興味」と「好奇心」の違いをご存じだろうか?
文字通り「奇妙、おかしい」ことを「好む」のが「好奇心」である。
何を見ても「ふーん」「そんなもんか」と一切疑問を抱くことがなければ
地球が丸かろうが太陽が東から昇ろうがどうでもいいのである。
そこにひとつの突っ込み、疑問があるだけで世界は面白く見えてくる。
完璧な人間を見るよりも、突っ込みどころ満載の人間を見るほうが楽しいに違いない。
脳は常に答えを探している。
なかなか興味深い記事だ。
この記事によると人間は「自分が読みたい記事」ばかり読むらしい。
読みたいものを読むのは当り前では?というのとはちょっと違う。
結果としてゴシップネタが増えるといった傾向があるとのこと。
ある意味教養的ではなくエンタメネタを好むようになってきたということなのだろうか。
人間の特性からいえば、面白そうなことに興味を示すのは至極当然。
情報化の波によって面白そうなことが表面化すると同時に、
それをネット上で共有することが簡単にできるようになったのも事実。
ゆえに国や自治体に関する重要かつ退屈なニュースには見向きもしないのだろう。
結果利益的な視線で政党等を軽々しく非難するという結果に至ることも。
面白くもないし義務でもないことを人間にやらせるのは難しい。
ここで重要だと思うのは「価値観の成長」である。
もう少し言葉を変えるなら「好奇心のブラッシュアップ」となる。
「興味」と「好奇心」の違いをご存じだろうか?
文字通り「奇妙、おかしい」ことを「好む」のが「好奇心」である。
何を見ても「ふーん」「そんなもんか」と一切疑問を抱くことがなければ
地球が丸かろうが太陽が東から昇ろうがどうでもいいのである。
そこにひとつの突っ込み、疑問があるだけで世界は面白く見えてくる。
完璧な人間を見るよりも、突っ込みどころ満載の人間を見るほうが楽しいに違いない。
脳は常に答えを探している。
実行力のない人に限ってリキみやすい。
それを実行力だと勘違いする。
本当に実行力がある人は最低限の労力で最大限の効果を出す。
何かしら楽器を弾く人。
初心者に限ってめちゃめちゃ力を入れる。
悲鳴を上げる楽器。
うまい人は力を上手に抜いて美しい音を奏でる。
卓球をする人。
初心者に限ってめちゃめちゃ力を入れてスマッシュを打つ。
あらぬ方向に飛んでいく球。
うまい人は必要な力だけを球に込める。
プログラムを書く人。
初心者に限ってとんでもなく長いコードを書く。
カオス状態のプログラム。行数に満足する初心者。
うまい人は巧みなアルゴリズムでシンプルに書く。
人を束ねる人。
初心者に限って自己啓発書に書かれたような正論を力いっぱい振り回す。
混乱する現場。離れゆく人々。すべてを支配しようとする初心者。
うまい人は自分が楽出来る仕組みを作ってしまう。
力技も適材適所。
ここぞという時の一点突破のために温存してほしいところだ。
それを実行力だと勘違いする。
本当に実行力がある人は最低限の労力で最大限の効果を出す。
何かしら楽器を弾く人。
初心者に限ってめちゃめちゃ力を入れる。
悲鳴を上げる楽器。
うまい人は力を上手に抜いて美しい音を奏でる。
卓球をする人。
初心者に限ってめちゃめちゃ力を入れてスマッシュを打つ。
あらぬ方向に飛んでいく球。
うまい人は必要な力だけを球に込める。
プログラムを書く人。
初心者に限ってとんでもなく長いコードを書く。
カオス状態のプログラム。行数に満足する初心者。
うまい人は巧みなアルゴリズムでシンプルに書く。
人を束ねる人。
初心者に限って自己啓発書に書かれたような正論を力いっぱい振り回す。
混乱する現場。離れゆく人々。すべてを支配しようとする初心者。
うまい人は自分が楽出来る仕組みを作ってしまう。
力技も適材適所。
ここぞという時の一点突破のために温存してほしいところだ。
合理的である、という表現。
理にかなっているということであるが、
合理的であるからと言って汎用性一般性を持つとは限らない。
数年前、うちのサークルから出したロボットの形状が
合理的ではないとの指摘を審査員から受けた。
ところがどっこい、見事満点をたたき出して優勝したわけだ。
もちろん設計者が緻密な計算のもとで合理的に作り上げたロボットではない。
札幌だから雪だるま!的なノリで雪だるまの格好をさせたにすぎぬ。
結果として程よい重さがロボットの安定感を生み、
きれいな曲線が風の影響を最低限に抑えたというわけだ。
要するに、「理」というものが複数存在する上で
合理的といっても、どの「理」に「合って」いるのかは不明なのだ。
合理的と言ってしまえがただ一つ答えが生まれるというのは間違いなのである。
理にかなっているということであるが、
合理的であるからと言って汎用性一般性を持つとは限らない。
数年前、うちのサークルから出したロボットの形状が
合理的ではないとの指摘を審査員から受けた。
ところがどっこい、見事満点をたたき出して優勝したわけだ。
もちろん設計者が緻密な計算のもとで合理的に作り上げたロボットではない。
札幌だから雪だるま!的なノリで雪だるまの格好をさせたにすぎぬ。
結果として程よい重さがロボットの安定感を生み、
きれいな曲線が風の影響を最低限に抑えたというわけだ。
要するに、「理」というものが複数存在する上で
合理的といっても、どの「理」に「合って」いるのかは不明なのだ。
合理的と言ってしまえがただ一つ答えが生まれるというのは間違いなのである。
電電が尊敬するロボット博士、森正弘氏の名言を見つけた。
「創造物の新しさ、というのは、それに対する反対意見がどれほど多いかで決まる」
森氏がロボットを研究し始めたころは
ロボットというものに関してかなりの偏見があったそうです。
「おもちゃで遊ぶな」
「そんな古臭い手法で何が出来る」
「SFの読みすぎだろ」
今でこそ日本はロボット大国なわけですが、
先進的な技術を先進的たらしめるには大変な苦労があったのですね。
そういった意味で、
新しいものが常に受け入れられるとは限らないのです。
技術や知恵の生みの親としてはそれくらいの気概がなければ「生みの親」たりえない。
反対意見が出たぐらいで委縮してしまうようでは生みの親失格という訳です。
「創造物の新しさ、というのは、それに対する反対意見がどれほど多いかで決まる」
森氏がロボットを研究し始めたころは
ロボットというものに関してかなりの偏見があったそうです。
「おもちゃで遊ぶな」
「そんな古臭い手法で何が出来る」
「SFの読みすぎだろ」
今でこそ日本はロボット大国なわけですが、
先進的な技術を先進的たらしめるには大変な苦労があったのですね。
そういった意味で、
新しいものが常に受け入れられるとは限らないのです。
技術や知恵の生みの親としてはそれくらいの気概がなければ「生みの親」たりえない。
反対意見が出たぐらいで委縮してしまうようでは生みの親失格という訳です。
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