周囲の人間と良好な関係を築き、
円滑に生活をする、というのは
いかにも「健康」な思想のテンプレートに思える。
実際そう思う人も多い。
こういったネット記事を見るたびに
そのレビューの一部として、
「コミュニケーションが苦痛な人だっているんだ」
といったコメントが見受けられるのも少なくない。
こういった発言はいかにもネガティブな印象を受け、
理想を言うならば良好な関係を築いてほしいと周囲が願ったりする。
さて、今回のお題は
「孤独を望むのは不健康なのか?」ということだ。
と聞くと
「別に個人の自由だから、一概に不健康と言い切るのはよくない。
実際自分だって孤独になりたいことはあるし。理解はできる。」
と、一定の理解を示しつつ
どことなく「できればコミュニケーションを・・・」といった意図が見え隠れする。
コミュニケーションの重要性に異を唱えるつもりはないが、
はたして「べき論」で語ってよいものかどうか、検証してみたい。
では、どのような状態を「コミュニケーションを大事にしている」と言えるのか。
渋谷のスクランブル交差点に立てばいいのか?
これだと周囲に人は大勢いても、意思疎通そのものが行われていない。
会社においてチームで仕事をしている状態はどうだろうか?
プロジェクトは問題をいくつか抱えつつも、なんとかやっていけている。
メンバーどうして意思疎通をしながら励ましあい、仕事を実行する。
このような状態であればコミュニケーションを大事にしていると言えそうだ。
が、ここで考慮すべきは
「リーダーは孤独である」と感じているリーダーの数が少なくないことである。
メンバーとは日々コミュニケーションし、時には雑談もする。
それでもリーダーたちは孤独を感じているのである。
そういう職であるということを許容、もしくはそうであると認めている人々は、
言い換えればそのポジションによって「孤独を受け入れている」こととなる。
とするならば、そのリーダーたちは「負け組」なのであろうか?
そこまで極端な意見でなくとも、理想状態ではないのであろうか?
リーダーの件に関してはあくまで一例であるが、
ここから考えられるのは
はたして「コミュニケーションが重要である」ということと「孤独を認める」ということは
相反する思想なのであろうか?ということである。
「孤独を許容することと、好むことは別だ!」という意見もあろう。
その通りである。
「しかたがないことなのか、そもそも孤独が好きなのか」は別に見える。
しかしながら、共通する点として「自らそれを選択」しているのである。
ここまで来ると「コミュニケーションすること」と「孤独である」ことが
対義語ではないことは分かってきたが、
であるならば「コミュニケーションとはなんだ」となる。
おそらくこの問題の根本を翻訳するとすれば
「他人との関わりを積極的に持つか否か」と考えられる。
他人との関わりを持ちたくないと考え、それを実践すれば
結果的に孤独になるのは想像するにたやすい。
これは「関わらないという選択」の「結果」として孤独になったと捉えられる。
先の話と合わせれば、
「人とかかわらない」≠「孤独」ということになろう。
このように抽出すると違和感を感じる人も多いかもしれない。
ほとんどイコールじゃないの?と。
ここで必要になるのは「人とかかわる」ということに関して、
もうすこし掘り下げることだろう。
単純に「かかわる」だけで、その様式を問わなければ
人に道を聞いただけで「孤独ではない」ということになる。
が、人が「自分は孤独だ」と思うのは、もっと本能的な所ではあるまいか。
リーダーの話をするならば、
「メンバーの意図をくんであげられてない」
「リーダーの気持ちがわかってくれる人がいない」
「会話はするものの、上下関係が邪魔をしている」
等といった「気持ちの交換」が、その質を左右しているように思える。
要は「気持ちのやり取り」と「情報の伝達」が別物であるという結論に至るわけだ。
ということで冒頭の命題に戻ろう。
「人とかかわりたくない」と言って「孤独を選択」したい人々の望みとはいったい何なのだろうか?
気持ちのやり取りをしたくない。
自分の気持ちを知られたくない。
他人に興味がない。
情報の伝達だけであれば、無機質な印象が強く敬遠したい。
まだまだありそうだが、こういった例は考えられる。
そういった意味で、
「コミュニケーションが大事」と述べる人こそ、
孤独という概念、気持ちのやり取りに関して深堀する必要がある。
孤独を選ぶ人はコミュニケーションを否定しているわけではないし、
孤独を好む人は負け組なのでもない。
むしろ負け組であると認識する人は、
その時点で内面に持つ「コミュニケーションの概念の質」が疑われることになりかねないのだ。
円滑に生活をする、というのは
いかにも「健康」な思想のテンプレートに思える。
実際そう思う人も多い。
こういったネット記事を見るたびに
そのレビューの一部として、
「コミュニケーションが苦痛な人だっているんだ」
といったコメントが見受けられるのも少なくない。
こういった発言はいかにもネガティブな印象を受け、
理想を言うならば良好な関係を築いてほしいと周囲が願ったりする。
さて、今回のお題は
「孤独を望むのは不健康なのか?」ということだ。
と聞くと
「別に個人の自由だから、一概に不健康と言い切るのはよくない。
実際自分だって孤独になりたいことはあるし。理解はできる。」
と、一定の理解を示しつつ
どことなく「できればコミュニケーションを・・・」といった意図が見え隠れする。
コミュニケーションの重要性に異を唱えるつもりはないが、
はたして「べき論」で語ってよいものかどうか、検証してみたい。
では、どのような状態を「コミュニケーションを大事にしている」と言えるのか。
渋谷のスクランブル交差点に立てばいいのか?
これだと周囲に人は大勢いても、意思疎通そのものが行われていない。
会社においてチームで仕事をしている状態はどうだろうか?
プロジェクトは問題をいくつか抱えつつも、なんとかやっていけている。
メンバーどうして意思疎通をしながら励ましあい、仕事を実行する。
このような状態であればコミュニケーションを大事にしていると言えそうだ。
が、ここで考慮すべきは
「リーダーは孤独である」と感じているリーダーの数が少なくないことである。
メンバーとは日々コミュニケーションし、時には雑談もする。
それでもリーダーたちは孤独を感じているのである。
そういう職であるということを許容、もしくはそうであると認めている人々は、
言い換えればそのポジションによって「孤独を受け入れている」こととなる。
とするならば、そのリーダーたちは「負け組」なのであろうか?
そこまで極端な意見でなくとも、理想状態ではないのであろうか?
リーダーの件に関してはあくまで一例であるが、
ここから考えられるのは
はたして「コミュニケーションが重要である」ということと「孤独を認める」ということは
相反する思想なのであろうか?ということである。
「孤独を許容することと、好むことは別だ!」という意見もあろう。
その通りである。
「しかたがないことなのか、そもそも孤独が好きなのか」は別に見える。
しかしながら、共通する点として「自らそれを選択」しているのである。
ここまで来ると「コミュニケーションすること」と「孤独である」ことが
対義語ではないことは分かってきたが、
であるならば「コミュニケーションとはなんだ」となる。
おそらくこの問題の根本を翻訳するとすれば
「他人との関わりを積極的に持つか否か」と考えられる。
他人との関わりを持ちたくないと考え、それを実践すれば
結果的に孤独になるのは想像するにたやすい。
これは「関わらないという選択」の「結果」として孤独になったと捉えられる。
先の話と合わせれば、
「人とかかわらない」≠「孤独」ということになろう。
このように抽出すると違和感を感じる人も多いかもしれない。
ほとんどイコールじゃないの?と。
ここで必要になるのは「人とかかわる」ということに関して、
もうすこし掘り下げることだろう。
単純に「かかわる」だけで、その様式を問わなければ
人に道を聞いただけで「孤独ではない」ということになる。
が、人が「自分は孤独だ」と思うのは、もっと本能的な所ではあるまいか。
リーダーの話をするならば、
「メンバーの意図をくんであげられてない」
「リーダーの気持ちがわかってくれる人がいない」
「会話はするものの、上下関係が邪魔をしている」
等といった「気持ちの交換」が、その質を左右しているように思える。
要は「気持ちのやり取り」と「情報の伝達」が別物であるという結論に至るわけだ。
ということで冒頭の命題に戻ろう。
「人とかかわりたくない」と言って「孤独を選択」したい人々の望みとはいったい何なのだろうか?
気持ちのやり取りをしたくない。
自分の気持ちを知られたくない。
他人に興味がない。
情報の伝達だけであれば、無機質な印象が強く敬遠したい。
まだまだありそうだが、こういった例は考えられる。
そういった意味で、
「コミュニケーションが大事」と述べる人こそ、
孤独という概念、気持ちのやり取りに関して深堀する必要がある。
孤独を選ぶ人はコミュニケーションを否定しているわけではないし、
孤独を好む人は負け組なのでもない。
むしろ負け組であると認識する人は、
その時点で内面に持つ「コミュニケーションの概念の質」が疑われることになりかねないのだ。
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無題
考えれば考えるほど難しいですね・・・。
難しく考えようとするから難しいのでしょかね^^;
「リーダーは孤独」なんとなく経験があります。
突然ですが・・・実は、ココへはUNI.SUMMIT2008のホームページから来ました。PVの曲「Last treasure」を書いた人を探していて・・・。と、言いましても、特に深い理由があるわけでもなく(汗)そうしたらついつい、面白くて読みふけってしまいました^^
彼女とは元々お知り合いで、それからの依頼でしょうか・・・それともネットを介しての依頼だったのでしょうか><
難しく考えようとするから難しいのでしょかね^^;
「リーダーは孤独」なんとなく経験があります。
突然ですが・・・実は、ココへはUNI.SUMMIT2008のホームページから来ました。PVの曲「Last treasure」を書いた人を探していて・・・。と、言いましても、特に深い理由があるわけでもなく(汗)そうしたらついつい、面白くて読みふけってしまいました^^
彼女とは元々お知り合いで、それからの依頼でしょうか・・・それともネットを介しての依頼だったのでしょうか><
無題
>Cahierさん
コメントありがとうございます★
楽しく読んで頂けたのなら幸いです。
孤独の問題は、もっと単純なのかもしれませんね。
理由をひたすら考えるから「さまざまな理由が生まれてくる」というのもあるでしょう。
UniSummitでは彼女にお世話になりました!
メンバーの一人が「PV作れる人を知っている」と言って
紹介してくれたのが彼女、S木さんだったわけです。
今でも親しくさせて頂いております。
ちなみに歌詞は別のメンバーが考えました(笑)
私の後輩のS川君が歌詞を作って、
それに合わせて曲を作ってくれたわけです。
ニコニコ動画でもPVが公開されておりますので、
ぜひそちらもご覧くださいませ。
コメントありがとうございます★
楽しく読んで頂けたのなら幸いです。
孤独の問題は、もっと単純なのかもしれませんね。
理由をひたすら考えるから「さまざまな理由が生まれてくる」というのもあるでしょう。
UniSummitでは彼女にお世話になりました!
メンバーの一人が「PV作れる人を知っている」と言って
紹介してくれたのが彼女、S木さんだったわけです。
今でも親しくさせて頂いております。
ちなみに歌詞は別のメンバーが考えました(笑)
私の後輩のS川君が歌詞を作って、
それに合わせて曲を作ってくれたわけです。
ニコニコ動画でもPVが公開されておりますので、
ぜひそちらもご覧くださいませ。
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