人間は自らの眼球を見ることはできない。
同様に、自らの「思考そのもの」を思考することも困難である。
どんなに意識しても、人間の思考は散逸的で
なおかつ極端なまでに偏りがちとなる。
双方に必要なのは、それらを写す道具であろう。
鏡を見れば自らの眼球を見ることができる。
ではここでいう思考を写す鏡とはどんなものだろうか?
一般に言う論理的な思考?
論理的に考えることの重要性は述べるまでもないように思えるが、
「一見筋が通っていて、反論できない」のであれば「正論」となってしまう危険性をはらむ。
ここらへんはちょっとやそっとの意識や注意でどうにかなるものではない。
ちょっとした笑い話を引用する。
同様に、自らの「思考そのもの」を思考することも困難である。
どんなに意識しても、人間の思考は散逸的で
なおかつ極端なまでに偏りがちとなる。
双方に必要なのは、それらを写す道具であろう。
鏡を見れば自らの眼球を見ることができる。
ではここでいう思考を写す鏡とはどんなものだろうか?
一般に言う論理的な思考?
論理的に考えることの重要性は述べるまでもないように思えるが、
「一見筋が通っていて、反論できない」のであれば「正論」となってしまう危険性をはらむ。
ここらへんはちょっとやそっとの意識や注意でどうにかなるものではない。
ちょっとした笑い話を引用する。
一人の社会人男性が論理学の講座を受講していた。
彼は講師にこんな質問を投げかけた。
「そもそも論理学とはどんなものなのですか?」
講師はそれに答える代わりに、男性に質問を始めた。
講師:「あなたは芝刈り機を持っていますか?」
男性:「はい、持っています。」
講師:「ということは庭をお持ちですね?」
男性:「そのとおりです!」
講師:「ということは大きな敷地をお持ちのはずですね?」
男性:「そのとおりです!」
講師:「ということは家も大きいのですね?」
男性:「そのとおりです!」
講師:「ということは家族と一緒に住んでいるのですね?」
男性:「そのとおりです!妻と子供二人と住んでいます。」
講師:「ということはあなたはホモではないのですね?」
男性:「そのとおりです!」
男性は非常に満足して講座を後にした。
後日、彼はその話を友人に得意げに話した。
男性:「ね、君は芝刈り機をもっているかい?」
友人:「そんなもの、持ってないよ。」
男性:「ということは君はホモだ。」
おしまい。
とまぁこれは論理学をテーマにした笑い話であるが、
これのどこが論理的におかしいかを論理的に述べるのは
若干骨の折れそうだ。
論理的に考えることは訓練するとして、
今できることはなんだろうか?
そのひとつとして「思考の平等化」が重要であると考えられる。
思考の種というものは、その宿主に「考えてもらう」ことを常に待っている状態だ。
同じ思考の種が頭の中を常にめぐっているのは「思考のえこひいき」と言えよう。
誰かに対してイライラしたり、
好きな遊び以外のことに一切目もくれなかったり。
イライラの種は格好のえこひいき対象になりうる。
ここで一つ、読者の皆さんには疑問が沸くかもしれない。
「えこひいきっていう表現、それ間違ってない?」
一般用途であれば、自らが好む人間に対してのみ、ちやほやすることを指す。
となると「好きでイライラしてるわけじゃない」のであれば
えこひいきとは呼べないのでは?ということである。
好きかどうかは実際重要ではありません。
「自分で選んでいるかどうか」がもっとも重要です。
人間の脳はイライラの種を見つけてはイライラすることを「選んで」いる、というわけです。
そのほうが「脳にとっての論理性」が高く、シンプルかつ感情との競合も最小限になります。
要は、「思考の種のバランス」が悪いということですね。
さらにここで眉をひそめる人がいるかもしれない。
「たとえ誰かにイライラしても、その人にはいい所もあるんだから
ちゃんとそれも同様に考えろって言いたいんだろ?」
結論は確かにそうだが、
そう結論付けたからといって果たして脳はそれを進んで「選択」するだろうか?
感情の動きが反射的である以上、難しいだろう。
たとえば、
電車に乗って窓の外を眺めることを想像してほしい。
一切眼球を動かさずにいられるだろうか?
実際やってみればわかるが、不可能に近い。
反射的に窓の外の景色を目で追ってしまうだろう。
いくら目を動かしたくないと強く願っても、体がそうはさせないのである。
が、窓に広告が貼ってあったらどうだろう?
窓の外が流れ行くことを意識しつつも広告を眺め、
眼球の動きを止めることができるだろう。
もう一つ例を出そう。
本屋さんで、ある特定の本の背表紙を見つめてみよう。
そのまま目を動かさず、隣の本の背表紙が「読める」だろうか?
では3つ隣の本の背表紙は?5つ隣の本の背表紙は?
存在することがわかっていても、読めなければ見えていないのと同じである。
思考する際の脳の動きは、目が何かを見つめる行動に似ている。
であるならば、思考の向く先をコントロールするには
さきに述べたような眼球の特性をそのまま使用することも出来るだろう。
とまった情報があれば、脳はそれを受け入れやすくなる。
頭の中だけであれば、流れ行く車窓の景色のごとく消え去ってしまう。
バランスよく考えたければ、まずはバランスよく紙なりなんなりに書き出してみることだ。
他人に対するイライラであれば、紙に書かずとも
イライラしない人を順番に思考していくというのも手段の一つである。
実際それが求められるバランスの取れた思考となろう。
まず一歩として「いかに自分の思考バランスが悪いか」に気づく必要がある。
常に「同じようなこと」が頭の中をめぐっている人は要注意である。
それはきっと思考のえこひいきだ。
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