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自分のポリシーやモットーなど、もしくはそうでありたい、伝えたい事というものは
何度でも口にするのが良いそうだ。

そのうちにそれが自分の意見として相手に理解してもらえる、覚えてもらえるようになるのだとか。
そうして初めて意見を言った、という事になるのだろう。

実はワンパターンなストーリーにもこれが当てはまる事がある。
例えば「水戸黄門」がそうだ。

黄門様一行を「善」と定義し、悪を見つけてはこらしめ、最後に印籠で締めくくる。
毎回このパターンで視聴者が飽きてしまわないかと思ってしまうほどだが、
その人気は衰える事を知らない。(俳優によって人気の上下はあるらしいが)

悪は善によって誅罰されるのだというメッセージが視聴者に浸透し、理解されているからである。
そこに清々しさを感じ、結果がわかっていても見てしまうのはそのせいではないか。

最近はのび太の行動にも当てはまると思うケロロです。
大きく分けて2つのパターン。
1.のび太が道具を借りて自業自得な失敗をする
2.序盤でのび太が反省、もしくは情に動かされてハッピーエンドになる

前者ではのび太は「悪」であり後者では「善」として存在する。
そこには「せこい事をするとその報いが必ずある」というメッセージと
「心情から生まれた思いやりは双方を幸せにする」というメッセージが込められている。
これはドラえもんが放映されてからほとんど変化していない。

せこい事をしても報いを受けない人も存在する。
心情から生まれた思いやりが悲劇を生むこともある。
報われない努力は山ほどある。
それが現実だとあきらめる人は数多である。

「それがどうした」「だからなんだ」
というのがドラえもんとのび太からのメッセージだとケロロは考える。
上記4点はあくまで「現実」であって「原因」ではない。
自分にとってのマイナスの「原因」と勝手に思い込むだけではないか。
現実はあくまで現象でありプラスでもマイナスでもない。
「努力をすれば報われる」のではなく「努力をしたら報われた」のである。

数年前のストーリーにおいて、剛田武が「真剣にアツい想いを持って徹夜勉強」したことがあった。
母の誕生日に100点のテストをプレゼントするためである。
リアルに彼は「真剣」に勉強したが、現実は100点とは程遠い64点であった。

がしかし、彼の母は彼の「努力」をちゃんと知っていた。
つまり、真剣に勉強した時点で彼の思いは母へと伝わっていたのである。

結果こそが全てという大きな流れの中で、消えてはいけない「芯」であるとケロロは思うのです。
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