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やる気とやれる気のサイクルを回せ、というのは
以前のブログでもかなり書いた。

やれる気を起こすにはやれたときを想像できるか、というところが重要である。
そのビジョンが短期的であれ長期的であれ。

実際に体験しなければ「これくらいか」というのがわからないが、
一流に触れることで、それを疑似体験することは出来る。

ギターを習い始めたのであれば、
ジミヘン等伝説の人々の演奏を聞いてみればよい。

ただし、「直接」触れることでその効果は相当大きくなるはずだが、
一流というのは一種F1に似ている。

おっかなびっくり走行中のF1カーにさわろうものなら
おそらく腕がふっとぶだろう。大怪我をするだけだ。

むしろ必死にくらいついて、ぱっとしがみついたほうが
かえって怪我も無く得られるもののほうが多いはずだ。
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「勉強めんどくせー」
「研究しないとなぁ。でもやる気も起きんなぁ」
「練習サボっちゃおうかなぁ」

人間いろいろと「やりたくない、避けたい」ことは多い生き物である。

避けたい気持ちに素直になる、等というのは書籍でも頻繁に書かれているが、
「本当にやりたくないのか」という議論はあまりなされていないように思う。

うまく行かない事象に対して
「それはあなたが本当にやりたいことですか?」と問いかけるのも多い。
がやはり、その逆はあまり存在しない。

やりたいことなのにやりたくない気持ちが出てくる現象。
その背後には「言霊」の存在が見え隠れする。

人間、自分で自発的に発した言葉がそのまま真になることをあまり知らない。
知らずして真になるといったほうが正しいかもしれないな。

たとえば自分の研究。
「研究つらいなぁ。やりたくないなぁ。」
なんて思っていても、
その「研究」という言葉自体があいまいすぎることに本人はなかなか気付かない。

研究とはビジョンや解析、参考文献あさりなどさまざまな要素が含まれるが、
そのどれがイヤなのか、もしかしたらそれ以外は好きなのではないか。

自分が嫌いだと思っていることそのものを細分化してみるといい。
どれが好きでどれが苦手なのか。
研究にしろ勉強にしろ仕事にしろ
「やらされている」と感じれば「やる気がなかなか高まらない」
というのは書籍類でも多く取り上げられ有名な話である。

要は「主体的に取り組めばモチベーションが高まる」ということなのであるが、
「ほうほう」と思いながらも実際どうしていいか分からない人も多いのではないか?
そんなときにはやる気の出ない対象物(仕事とか)に向ける自分の「主体性」を円グラフにしてみよう。

ここでは電電を例に挙げて「研究」としておこうか。
研究と一言で言っても中身を細分化することが出来る。
システム、プログラミング、解析、手法、考察、その他もろもろ。
まずはそれらが研究の中で占める割合をざくっと数値にしてみる。
その上で、その一つ一つが「自分によって生んでいるか、教授に依存しているか」を
こまかく割合にしてみるのだ。

もしかしたら案外核となるシステムの考案の8割は教授が占めていたりするかもしれない(笑)
どこが重要でどれくらいの重要度を自分が締めているのか。
やる気が出ない人だとおそらく自分がコアな部分から離れていて、
誰でも出来る単純解析、整理などで大きな役割を占めていないだろうか?

頭で漠然と考えるより、数字にしてみるだけでもその効果は違うはずだ。
以前読んだ書籍で、面白いことが書いてあった。

「車が走るのに必要な機能は何か?」
その問いに多くの人がエンジン、アクセル等と答えたそうだ。

そしてほぼすべての人が答えなかったものに
「ブレーキ」がある。

頭の中に「ブレーキ=止まる」という構図があるからだ。
がしかし、走行にブレーキは欠かせない。

それと同じく、
川というものはそれを導く地面と地面の高低さがあるために川たりえる。
海というものはそれを支える大地と大地のくぼみがあるから海たりえる。

水を遠くへ運ぶには「水を漏らさない容器」が必要になる。

何かが存在するには、それを否定するものが無ければ存在し得ないのだ。

なるほど、と感心した電電であります。
んで、電電は「集中力もしかり」であると考えるわけだ。

集中力を川のように思う方向へ流したい(集中させたい)と考える人は多いだろう。
であるならば、集中力を妨げるものが必要なのだ。
なんだか矛盾しているようであるが矛盾はしていない。

受験期に本棚のコミックやゲーム機をダンボールに詰めて自分から隔離したことは無いだろうか?
それに近い。
集中力を持っていかれそうになるものを身の回りから排除するという考え方と、
特に興味の無いものを周りに置くことで、
目の前のことに一番興味を持たせることができるという考え方へのシフトなのだ。

結局発想の転換ではないか。

面白いデータがある。
数年前、とあるヨーロッパの国でテレビが長期間放送されない時期があったそうだ。
ストライキだとか何とかで。
その間子供たちは大好きなアニメがみられなくなってしまった。
結果、今まで見向きもしなかった本を読み始めたそうだ。
テレビを失って、その行き場を失った「興味・集中」が目の前の本に注がれたのだ。

集中力は液体である。
集中力は川である。

「瓶に詰める」のではなく「どこへ流すか」を重要視したいところだ。
あるところに
とてもかわいいカタツムリがいました。

いつもお肌は潤ってヌルヌルです。
お肌を維持するには「新鮮な水」が欠かせません。

そして彼の美貌を高めていたもうひとつのアイテム。
それは「熟成したブランデー」でした。
彼はそれをいつも小さな樽に入れて持ち歩いているのです。

そんな彼はいつものように新鮮な水を求めて街へ出かけることにしました。

街の中はきれいで新鮮な水がいたるところから湧き出ていて、
カタツムリはあちらこちらと湧き水を浴びまわったのです。

ブランデーの樽がわずらわしくなったカタツムリは、
「水を浴びる間、ちょっとだけ樽を置いておこう」
と、大事な樽を放置してしまいました。

ちょっとです。ちょっとの間だったのです。

でも、カタツムリが再び樽を持ち上げたとき。
樽はほとんど空っぽでした。

そう、ブランデーはとても「揮発」しやすいのです。
カタツムリはそれをすっかり忘れてしまっていました。


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このストーリーでのブランデーとは
「自分が長年胸の中で暖めてきた思想・ロジック・人格基盤」のこと。
きれいな水とは
「新しい外部からの刺激」のこと。

いろいろ新しいことにチャレンジしたり、さまざまなヒトと会話することによって
得られるものは計り知れず、それらが頭に与える影響も大きい。
その影響力は自分が今まで暖めてきた気持ちすら忘れさせてしまうこともある。

それによって生まれ変わることもあろう。
自己イノベーションを起こすこともあろう。

ただ。

新しく買ったスポーツシューズを履いたくらいで足は速くならない。
気分だけ早くてもしょうがない。

自分が「脳内革命だ!」と大騒ぎしても一時的高揚感と差別化できなければ
本当に足が早くなることは無いだろう。

ありとあらゆる新鮮で刺激的な情報があふれる現代。
ちゃんと自分の中でブランデーを熟成させられるかどうか。
人間の子育て
ライオンの子育て

心に鎧を着せるのが人間の子育て
爪をとがせるのがライオンの子育て

生き方を教えてくれる人を探してくるのが人間の子育て
草原でシマウマを狩り、その姿を見せ付けるのがライオンの子育て

料理した食物を食べさせるのが人間の子育て
動物を自分で料理させるのがライオンの子育て

崖に落ちた子供にロープを差し伸べるのが人間の子育て
子供を何度でも崖に突き落とすのがライオンの子育て

子供を草原で縦横無尽に走り回らせるのがライオンの子育て
それを頑丈なツアーバスの中から見せるのが人間の子育て

独立した子供をいつまでも末永く愛情を降り注ぐのが人間の子育て
独立した子供が縄張りに入ってくると「一人前の敵」とみなすのがライオンの子育て
茂木健一郎の著書の中の一文に
「一つ作れば世界が変わる」というのがあった。

彼の場合は論文をひとつ書き上げることを意味していたが、
それによって自分の中に大きな変化が起きると言うことを示している。

そこにあるのは達成感、成功体験などの「できる感」であろう。

人間が何かを成し遂げられない、行動を起こせない理由として
「私はやる気が無いから。。。」といった表現を良く聞くがそれは違うのではないだろうか。

やる気は「やれる気」からくるというのはいつぞやのブログで書いたとは思うが、
まさにそこである。

いかに自分の中に「やれる気」を起こし「やる気」につなげ、「できた」を作り出すか。
そのサイクルさえ確立できれば人間の創造力は無限大になるはずだ。

ちなみに電電は本日プリント基板をひとつ設計し終えました。
自分で作って印刷したのは今日が始めてだ!

薬品さえそろえばすぐにでも完成しそうな感じだよ。
今日の帰宅時のことです。

地下鉄札幌駅で電車を待っておりました。
帰宅ラッシュ時間と重なったせいか、周りには人がたくさん。

私の前に並んでいたのは2名の女性で、彼女たちはなにかおしゃべりしておりました。

とそこへ一人の年配男性が近寄ってきてその二人の女性に説教を始めたわけだ。

「あんたたちねぇ、もっと前つめてもらわないと後ろが邪魔だろが。
まわりよくみなさいよ。人で一杯じゃない。あんたたちがもっとつめて並んでくれたら
後ろに人が助かるんだよ。わかってるかい?」

その女性二人は軽く謝りながら前をつめる。
へぇぇ、堂々と説教できるとはなかなかすげぇおじさんだな、なんて思ってたら

そのおじさん、並んでいた私の前に堂々と割り込みました(笑)

説教をしている最中は、その正当性ゆえに「自分が」もっとも正しいと思っていたに違いない。
「どの視点」で「誰が正しいか」というところまで考えて欲しかったのだが。

自分が並びづらいイライラを説教と言う形で発散させただけなのだろうか?

がしかし、かく言う電電にも心当たりが(笑)
気をつけよう・・・。
最近自分のスイッチを入れる方法を見つけたようです。

それは、「腕立て伏せ」!

電電は非力なのでたいした回数は出来ませんが
限界ぎりぎりまでやると頭の中がかなり熱くなります。
一種の興奮状態でしょうか。
この状態だとあまり雑念無く勉強に突入することが出来るんですねぇ。

茂木健一郎も書籍の中で言っていますが、勉強するときはなりふり構いません。
電電は誰かにプレゼンすることを妄想しながら没頭しております。

んで、休むときは徹底的にリラックス。
ドラ焼き食べながらドラえもんを観たり☆

んでまた腕立て伏せ!
そういった意味で心と体のバランスって大事なのかも知れませんねぇ。
電電を誘惑するもの。

それはパソコン。そしてそのコンテンツ。
そしてそれから布団!

それらすべてが私を誘惑する。
その力は強力で、振り払うのはなかなか困難だ。

そんなときはそいつらに面と向かい合って言うといい。

「おい貴様!おまえは俺様の子分だ!妙な色気を使うんじゃぁねぇよ!」

ひたすらひたすら「おまえは子分だ!」とパソコンに言い聞かせるのです。
そのうちだんだん不思議なことに、パソコンがしょげてきたかのようにみえる。
おや?このせりふは自分に言ったのか?パソコンに言ったのか?

だんだんわからなくなる。

だがしかし、パソコンはその時点で私の子分になってしまっている。

朝起きるときも布団に向かって叫ぶといい。
「おれを誘惑するなど100年はやい!押入れで小さくまとまってやがれ!」
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